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大阪城その2~天守閣 [城]


 
 大阪城は大阪のシンボルである。
 まず、大阪城の歴史から話をする。
 歴史的に遡ると、大阪城の前身は、石山本願寺である。
 明応5年(1496)、本願寺8世法主蓮如が山科本願寺の別院として大坂御坊を建立し、これが石山本願寺の起源となった。
 織田信長は、元亀元年(1570)から11年に及ぶ長い戦争(石山合戦)の結果、天正8年(1580)顕如を石山本願寺から退去させるが、堂塔伽藍は全焼する。
 天正11年(1583)、秀吉は石山本願寺跡に大坂城の普請(築城工事)を開始する。秀吉創建の大天守は外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用いた。
 秀吉の大坂城は、本丸の築造に約1年半を費やし、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて、徐々に難攻不落の巨城に仕上げられた。また、城づくりと同時に町づくりが行われ、秀吉時代の大坂は近世城下町の先駆けとなった。
 秀吉の死後の慶長5年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年、家康は江戸に幕府を開く。豊臣家は徳川幕府成立後も天下掌握の夢を捨てられず徳川家との間に緊張関係を持続させていた。こうした状勢のなか、京都東山に豊臣秀頼が再建した方広寺大仏殿の鐘銘(釣鐘の銘文)に家康がクレームを付けたことをきっかけに、慶長19年(1614年)大坂冬の陣が開戦された。
 約10万の豊臣方は健闘し、徳川方20万の大軍を惣構の中へは一兵も突入させなかった。秀吉が築き上げた天下の名城は、やはり難攻不落の堅城だった。 しかし、講和による終戦の結果、大坂城は講和条件であった惣構・三の丸の破却に続いて強引に二の丸の堀まで埋め立てられ、本丸ばかりの裸城にされてしまった。
 冬の陣からわずか5カ月余りで夏の陣開戦となり、大坂城は落城することになる。さらに、豊臣秀頼・淀殿は自刃、豊臣家も滅亡する。
 元和5年(1619)大坂は幕府直轄領となり、翌6年(1620)2代将軍徳川秀忠により大坂城再築工事が起こされ、3期に渡る工事を経て3代将軍家光の時に完成した。.
 14代将軍家茂が征長戦争の最中に大坂城中で病没、後を継いだ徳川慶喜は15代将軍として幕府崩壊までの1年余り大坂城と二条城を舞台に、諸外国の代表との会見などに活躍した。しかし、慶応4年(=明治元年1868年)幕府軍が鳥羽伏見の戦いに敗れると、慶喜は大坂城を脱出、江戸へ逃げ戻った。その混乱の中で本丸台所付近などから出火し、近世城郭建築の精華であった城内の建造物はほとんど焼失した。
 昭和3年(1928)当時の市長、関一(せき・はじめ)が天守閣復興を提案。議会の賛同を得て推進委員会が設置されると、市民から寄付の申し込みが殺到し、わずか半年で目標額150万円に達した。大戦へ向かう重苦しい時代の中で、天守閣復興は大阪市民に熱狂的な賛同で迎えられたのだ。  
 当時、豊臣時代大天守の資料はきわめて乏しく、「大坂夏の陣図屏風」を拠り所に、全国の桃山時代天守の調査によって細部の資料を集めるなど苦労を重ねた。また、復興天守閣を永久的なモニュメントとするため、当時としては最新の建築工法である鉄骨鉄筋コンクリート造りとした。しかもわが国では前例のない地上55mの超高層建築であり、設計には多くの困難があったが工事は順調に進み、昭和6年(1931)11月7日、歴史上3代目の大阪城天守閣が竣工した。これが、今の天守閣である。

 天守閣の内部は、歴史博物館になっている。一階から八階まであり、八階は展望台になっている。展望台から、大阪市内を望む。

 八階には、お土産を売っている売店まである。天守閣の一番上に売店があるのは、大阪城ぐらいではないか。何となく高そうな気がする。
 七階から下は、展示場になっており、鎧・兜・武具の展示の他に、ジオラマで秀吉の一生を見せたり、大阪夏の陣をフィギュアで再現したり、現代風の展示になっている。子供が楽しみながら学習できるようになっている。ちなみに大阪城の天守閣への入場料は子供は無料となっている。

 帰りは、地下鉄の谷町線谷町四丁目の駅に向かう。途中に大阪歴史博物館がNHK大阪と隣接してある。

 
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コメント 8

まだまだスムーズに動かないブログです。
 歴史は時代ごとに勉強させられて《受動的?》なかなか一つの
物《例えば大阪城》とか一人の人《例えば豊臣秀吉》に焦点を当てて勉強をしないですね。こうして大阪城だけを取り上げて読んでいくと、よく分かりますね。
by (2006-03-11 14:14) 

kaoru

こんにちは。大変勉強になりました。
有り難うございます。
by kaoru (2006-03-11 16:46) 

マイケル

mimimomoさん
大阪城=豊臣秀吉のイメージがありますが、大阪城にも歴史があり、秀吉の大阪城はその一頁に過ぎません。
by マイケル (2006-03-11 17:02) 

マイケル

kaoruさん
司馬遼太郎の「城塞」という小説がありますが、これはまさしく「大阪城」が主人公ではないでしょうか。
by マイケル (2006-03-11 17:08) 

ピロリン

勉強になりました。
名のある将軍たちが手がけた城が、
最後は大阪市民の手によって再考された
というのがいい話だなと思いました。
by ピロリン (2006-03-12 09:11) 

マイケル

ピロリンさん
お城は全国どこでもありますが、その土地その土地の、シンボルであり、誇りだと思います。
by マイケル (2006-03-12 14:21) 

i-shinkuro

勉強させていただきました。昨年冬に、京都方広寺大仏殿の鐘銘を見てきましたが、銘文の問題の部分は白い線で囲まれていました。
by i-shinkuro (2006-03-17 23:09) 

マイケル

方広寺大仏殿行ったことがありません。一度行ってみます。
by マイケル (2006-03-17 23:26) 

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