二条城・再訪 [城]
北野天満宮の後、二条城に寄る。日本100名城スタンプラリーの一環だ。
以前訪れた時は、5月のツツジの綺麗な時だったと思う。
冬は、花もなく、華やかさに欠け、素晴らしい庭も何か物足りない。
二条城は、慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成した。
豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合された、いわゆる桃山時代様式である。
大手門
唐門
雪を少しかぶっている。
車寄
唐門を入ると豪華に装飾された車寄せが目に入る。欄間彫刻は表と裏のデザインを変えており、表側には五羽の鸞鳥(らんちょう)・松・ボタン、上部には雲、下部には笹を見ることができる。屋根は桧皮葺になっており、床は牛車で中に入れるように四半敷になっている。
欄間彫刻
建物に入らず、庭を見ることにした。
二の丸庭園
慶長7年(1602)~8年(1603)頃(家康時代)二条城が造営されたときに、その建築に調和させて作庭されたものである。寛永3年(1626)(家光時代)の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられた。書院造庭園である二の丸庭園は神泉蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれている。
本丸御殿
創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていた。
現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものである。この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物で、1854年(嘉永7年)内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒深い建物である。
本丸には五層の天守閣がそびえていたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失した。
天守台から、本丸を見下ろしたところ。
この日は、二条城を最後に帰った。
(完)
以前訪れた時は、5月のツツジの綺麗な時だったと思う。
冬は、花もなく、華やかさに欠け、素晴らしい庭も何か物足りない。
二条城は、慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成した。
豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合された、いわゆる桃山時代様式である。
大手門
流石、二条城ですね。
by SilverMac (2008-03-05 10:26)
木目が浮き上がっているところに、歴史を感じますね。
by Baldhead1010 (2008-03-05 18:02)
SilverMac さん
天守閣を見たかったです。
by マイケル (2008-03-07 00:37)
Baldhead1010 さん
歴史です。
by マイケル (2008-03-07 00:37)
欄間はすごいですね。
by 春分 (2008-03-08 21:01)
春分さん
御殿の中の欄間もいいですよ。
by マイケル (2008-03-20 11:30)