高田屋嘉兵衛公園in淡路島 [司馬遼太郎]
司馬遼太郎の小説に「菜の花の沖」という作品がある。淡路島出身の商人「高田屋嘉兵衛」を主人公とした小説である。司馬遼太郎は、嘉兵衛をこよなく愛し、「今でも世界のどんな舞台でも通用できる人」と称えている。
1769(明和6)年、高田屋嘉兵衛は淡路島都志本村に6人兄弟の長男として生まれた。幼い頃から海に親しみ船を愛した嘉兵衛には、少年時代、近くの川に玩具の船を浮かべながら、潮の満干を調べて大人達を驚かせたといった逸話が語り継がれている。22歳で兵庫に出た嘉兵衛は、大坂と江戸の間を航海する樽廻船の水主となり、船乗りとしてのスタートを切った。やがて優秀な船乗りとなった嘉兵衛は、西廻り航路で交易する廻船問屋として海運業に乗り出す。28歳で、当時国内最大級の千五百石積の船「辰悦丸」を建造し、まだ寂しい漁村にすぎなかった箱館を商売の拠点とした。当時千島列島を南下してくるロシアとの国防対策を急ぐ幕府に協力して、エトロフ島とクナシリ島間の航路を発見したり新たな漁場を開くなど、北方の開拓者として活躍する。
嘉兵衛が北方で活躍していた頃、通商交渉のもつれに端を発した双方の誤解から、たまたま蝦夷沖の地理を調査中であったロシア皇帝艦のゴローニン艦長が、クナシリ島で水・食料の補給を得ようと上陸した途端、警備隊に捕らえられるという事件がおこった。
艦長を失ったロシア船ディアナ号はその消息を聞き出そうと、偶然近くを通りかかった嘉兵衛の船を捕らえ、嘉兵衛を配下五人と共にカムチャッカへ連行抑留する。囚われの嘉兵衛と副艦長リコルドは同じ部屋で寝起きし、「一冬中に二人だけの言葉をつくって」交渉、嘉兵衛はリコルドに、一連の蛮行事件は、ロシア政府が許可も関知もしていないという証明書を日本側に提出するようにと説得、その言葉を聞き入れたリコルドは嘉兵衛と共に日本に戻り、この両者の協力が遂にゴローニン釈放にいたる両国の和解を成し遂げた。
以上が、高田屋嘉兵衛の事蹟である。
淡路島は、徳島と大阪を往復する中で、何度も通っているが、高速を降りて、観光地を訪れることは全くなかった。
夏休みで、自分の車で淡路島を通る途中、高田屋嘉兵衛にちなんだ土地を是非訪れたいと思った。
よく調べると、ウェルネスパーク五色という中に、高田屋嘉兵衛の歴史文化資料館があるという。
ウェルネスパーク五色というところは、公共の宿あり、オートキャンプ場あり、テニスコートありのレジャー施設としては素晴らしいところだ。
公園の中程に、高田屋嘉兵衛とゴローニンの銅像がある。題して、日露友好の像。
高田屋嘉兵衛の資料館は、高田屋顕彰館「菜の花ホール」という。「菜の花ホール」というのは斎場みたいな名前だし、高田屋顕彰館というのも堅苦しい。単に、高田屋嘉兵衛歴史資料館で良かったのではないだろうか。
菜の花ホール
展示室
菜の花ホールの中には、高田屋嘉兵衛にまつわるいろいろなものが展示してある。中でも一番大きなものは、辰悦丸である。ホールのようなところに、人形とともに展示してある。
ホールの中では、一定時間毎に映像が流される。NHKドラマ「菜の花の沖」のダイジェスト版である。竹中直人が高田屋嘉兵衛を演じている。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の原稿も展示されていた。
原稿
嘉兵衛とリコルドの像
(続く)
1769(明和6)年、高田屋嘉兵衛は淡路島都志本村に6人兄弟の長男として生まれた。幼い頃から海に親しみ船を愛した嘉兵衛には、少年時代、近くの川に玩具の船を浮かべながら、潮の満干を調べて大人達を驚かせたといった逸話が語り継がれている。22歳で兵庫に出た嘉兵衛は、大坂と江戸の間を航海する樽廻船の水主となり、船乗りとしてのスタートを切った。やがて優秀な船乗りとなった嘉兵衛は、西廻り航路で交易する廻船問屋として海運業に乗り出す。28歳で、当時国内最大級の千五百石積の船「辰悦丸」を建造し、まだ寂しい漁村にすぎなかった箱館を商売の拠点とした。当時千島列島を南下してくるロシアとの国防対策を急ぐ幕府に協力して、エトロフ島とクナシリ島間の航路を発見したり新たな漁場を開くなど、北方の開拓者として活躍する。
嘉兵衛が北方で活躍していた頃、通商交渉のもつれに端を発した双方の誤解から、たまたま蝦夷沖の地理を調査中であったロシア皇帝艦のゴローニン艦長が、クナシリ島で水・食料の補給を得ようと上陸した途端、警備隊に捕らえられるという事件がおこった。
艦長を失ったロシア船ディアナ号はその消息を聞き出そうと、偶然近くを通りかかった嘉兵衛の船を捕らえ、嘉兵衛を配下五人と共にカムチャッカへ連行抑留する。囚われの嘉兵衛と副艦長リコルドは同じ部屋で寝起きし、「一冬中に二人だけの言葉をつくって」交渉、嘉兵衛はリコルドに、一連の蛮行事件は、ロシア政府が許可も関知もしていないという証明書を日本側に提出するようにと説得、その言葉を聞き入れたリコルドは嘉兵衛と共に日本に戻り、この両者の協力が遂にゴローニン釈放にいたる両国の和解を成し遂げた。
以上が、高田屋嘉兵衛の事蹟である。
淡路島は、徳島と大阪を往復する中で、何度も通っているが、高速を降りて、観光地を訪れることは全くなかった。
夏休みで、自分の車で淡路島を通る途中、高田屋嘉兵衛にちなんだ土地を是非訪れたいと思った。
よく調べると、ウェルネスパーク五色という中に、高田屋嘉兵衛の歴史文化資料館があるという。
ウェルネスパーク五色というところは、公共の宿あり、オートキャンプ場あり、テニスコートありのレジャー施設としては素晴らしいところだ。
公園の中程に、高田屋嘉兵衛とゴローニンの銅像がある。題して、日露友好の像。
高田屋嘉兵衛の資料館は、高田屋顕彰館「菜の花ホール」という。「菜の花ホール」というのは斎場みたいな名前だし、高田屋顕彰館というのも堅苦しい。単に、高田屋嘉兵衛歴史資料館で良かったのではないだろうか。
菜の花ホール
展示室
菜の花ホールの中には、高田屋嘉兵衛にまつわるいろいろなものが展示してある。中でも一番大きなものは、辰悦丸である。ホールのようなところに、人形とともに展示してある。
ホールの中では、一定時間毎に映像が流される。NHKドラマ「菜の花の沖」のダイジェスト版である。竹中直人が高田屋嘉兵衛を演じている。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の原稿も展示されていた。
原稿
嘉兵衛とリコルドの像
(続く)
名前は知っていましたが、淡路島出身とは知りませんでした
by SilverMac (2008-08-22 16:20)
たくさん思い浮かぶ場面があります。ネタばれになるので書けないのが残念です。
まだ船を持つ前の若い頃も、千島で潮の目を読む場面も、目に浮かぶようです。
この記事をきっかけにファンが増えるといいですね。
by 春分 (2008-08-22 22:22)
SilverMac さん
記念館らしきものは、他にもあると思いますが。
by マイケル (2008-08-23 09:55)
春分さん
ネタばれでもいいですよ。
by マイケル (2008-08-23 09:57)
菜の花の沖は面白かったです。NHK大河ドラマに取り上げて欲しいですね、こちらには、北前そば「高田屋」という居酒屋チェーン店があります。関係はないでしょうが・・・・
by kohtyan (2008-08-23 14:05)
kohtyanさん
「高田屋」という蕎麦屋は、チェーン店で姫路にいる時よく行きました。
by マイケル (2008-08-23 21:59)