第54番 延命寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
時間は前後する。今治城を訪れた後、近くの四国八十八カ所の札所を廻る。まずは、第54番延命寺である。
名称 近見山 延命寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
住所 愛媛県今治市阿方甲636
ご詠歌 くもりなき かがみのゑんと ながむれば
のこさずかげを うつすものかな
山門
山門は元は今治城の城門だった。天平年間(729‐49)行基が不動明王を刻み、本尊として近見山の頂上に七堂伽藍を建立したのがはじまりで、後に嵯峨天屋の勅願により弘法大師が再興して、近見山・宝鐘院・円明寺と号した。その後、寺運も栄え七堂伽藍も整って荘厳を極めたが、たび重なる兵火によって焼失し、そのたびに寺は移転し、享保2年 (1717)現在地に再建された。寺号の円明寺は明治になってから53番札所と同じでは具合が悪いところから延命寺に変えた。境内には越智孫兵衛の墓がある。孫兵衛はこの地方の庄屋だったが、池普請のとき、わざと農民に竹筒におかゆを入れさせ、巡視に来た代官に農民の苦しみを訴えて年貢米を軽くしてもらったため、大飢饉の時もひとりの餓死者も出さなかった。
本堂
大師堂
仁王門
梵鐘
名称 近見山 延命寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
住所 愛媛県今治市阿方甲636
ご詠歌 くもりなき かがみのゑんと ながむれば
のこさずかげを うつすものかな
山門
山門は元は今治城の城門だった。天平年間(729‐49)行基が不動明王を刻み、本尊として近見山の頂上に七堂伽藍を建立したのがはじまりで、後に嵯峨天屋の勅願により弘法大師が再興して、近見山・宝鐘院・円明寺と号した。その後、寺運も栄え七堂伽藍も整って荘厳を極めたが、たび重なる兵火によって焼失し、そのたびに寺は移転し、享保2年 (1717)現在地に再建された。寺号の円明寺は明治になってから53番札所と同じでは具合が悪いところから延命寺に変えた。境内には越智孫兵衛の墓がある。孫兵衛はこの地方の庄屋だったが、池普請のとき、わざと農民に竹筒におかゆを入れさせ、巡視に来た代官に農民の苦しみを訴えて年貢米を軽くしてもらったため、大飢饉の時もひとりの餓死者も出さなかった。
本堂
大師堂
仁王門
梵鐘
タグ:四国八十八ヵ所めぐり お寺
素晴らしい画像ですね。 カメラ・腕の差を感じています。
by 侘び助 (2008-11-09 23:17)
侘び助さん
ほとんどカメラまかせです。
by マイケル (2008-11-09 23:35)
写真が実に鮮明でいいカメラなんでしょうね。腕も良いんですね。
by 旅爺さん (2008-11-10 06:48)
旅爺さん さん
ありがとうございます。
腕は三流です。
by マイケル (2008-11-10 06:59)