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第55番 南光坊 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称  別宮山 南光坊
宗派  真言宗醍醐派
本尊  大通智勝仏
住所  愛媛県今治市別宮町3-1
ご詠歌  このところ みしまにゆめの さめぬれば
        べつぐうとても おなじすいじやく


南光坊



南光坊山門.jpg
山門
四天王が守護する大型の山門。一般的な全面両側に仁王像がある山門の形ではなく後面両側も加えた四箇所に四天王を配置している。

四天王.jpg
多聞天

南光坊は、真言宗醍醐派の寺院で、山号を別宮山、院号を金剛院と称する。

『神の島』といわれる大三島に鎮座する大山祇神社の別宮として伊予国越智郡日吉村の地に別宮大山祇神社が勧請されたのは大宝3年(703年)である。大山祇神社にはその数24の僧坊があったが、この年、そのうちの南光坊を含む8坊がその別宮の別当寺としてともに遷された。

これらの坊は、天正年間(1573年~1592年)に、伊予の全土を襲った長宗我部氏の軍勢により焼き払われ、失われる。しかしのち、それらのうちの一坊である南光坊のみが別宮(大山祗神社)の別当寺として再興される。

江戸時代には藤堂高虎の祈祷所として薬師堂が再建されるなど、近世は今治藩主の篤い崇敬と庇護を受ける神宮寺であった。文久年間(1861年~1864年)には金毘羅堂が造られる。

明治になると、神仏分離令にしたがう形で神仏習合の状態を脱し、大通智勝如来を本尊とする寺として独立した。

大正5年(1916年)には大師堂が建造される。第二次世界大戦の最中、境内が激しい空襲に晒され、伽藍のほとんどが焼失したが、金毘羅堂と大師堂だけは無傷であった。


u.jpg
本堂
釈迦如来の師とされている大通智勝如来(秘仏)を本尊として、その脇仏として弥勒菩薩と観音菩薩を祀る。

南光坊大師堂.jpg
大師堂
第二次世界大戦の最中の空襲によって境内の大部分が消失するも、金毘羅堂とこの堂だけがその戦禍を免れた。伝えられるところによれば、数多の焼夷弾が境内に落ちてきたものの、それらのいずれもがこの堂の屋根を滑り落ちてゆき、そのときの堂内にいた避難者の全員が無事であったという。

金毘羅堂.jpg
金毘羅堂

薬師堂.jpg
薬師堂

大師像.jpg
大師像

筆塚.jpg
筆塚
書家として初めて芸術院賞を受賞した川村驥山の筆塚や使っていた菅笠がある。川村は昭和25年、天皇陛下の宮中午餐会で四国遍路を知り、その4年後、娘をともない四国遍路でこの寺を訪れた。


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コメント 3

kaisersd

山門の四天王は、圧巻ですね。
あと三仏のアップも見たかったです。
by kaisersd (2008-11-11 23:55) 

Baldhead1010

歩く・・・これが原点ですね。
by Baldhead1010 (2008-11-12 06:16) 

ふじかわ

かっこいい!
by ふじかわ (2008-11-12 17:56) 

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