茶臼山と慶沢園 [古戦場]
大阪市立美術館を出て、北に歩いて行くと、大きな池がある。河底池である。
河底池
池の淵のベンチに腰をかけているお年寄りがいる。
反対側を振り返ると、池の向こうに大阪名物通天閣が見える。
池の真中に渡した橋を渡ると、そこは小高い丘となったている。茶臼山、正確には茶臼山古墳という。歴史的に名高い古戦場である。
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年の大坂夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となった。
付近に真田の六文銭の旗が立っている。
茶臼山に登ってみるが、石碑と大きな木が立っているだけである。
ベンチがいくつかあるが、近所のお年寄りとカップルの特等席になっている。
再び河底池を渡り、慶沢園という庭園を鑑賞する。入場無料である。
慶沢園
慶沢園は、明治41年から名匠小川治兵衛により作庭された日本庭園である。伏見宮貞愛親王により命名されている。
明治41年、住友家茶臼山本邸庭園として、木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始された。林泉回遊式の近代日本庭園である。大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式の、全国から名石・名木を集めた広大な庭園は完成までに10年を費やし、完成後間もない大正10年に住友家から隣接する茶臼山とともに大阪市に寄贈された。
最後に、慶沢園に隣接する歴史的建造物を紹介する。
旧黒田藩蔵屋敷長屋門である。
河底池
池の淵のベンチに腰をかけているお年寄りがいる。
反対側を振り返ると、池の向こうに大阪名物通天閣が見える。
池の真中に渡した橋を渡ると、そこは小高い丘となったている。茶臼山、正確には茶臼山古墳という。歴史的に名高い古戦場である。
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年の大坂夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となった。
付近に真田の六文銭の旗が立っている。
茶臼山に登ってみるが、石碑と大きな木が立っているだけである。
ベンチがいくつかあるが、近所のお年寄りとカップルの特等席になっている。
再び河底池を渡り、慶沢園という庭園を鑑賞する。入場無料である。
慶沢園
慶沢園は、明治41年から名匠小川治兵衛により作庭された日本庭園である。伏見宮貞愛親王により命名されている。
明治41年、住友家茶臼山本邸庭園として、木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始された。林泉回遊式の近代日本庭園である。大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式の、全国から名石・名木を集めた広大な庭園は完成までに10年を費やし、完成後間もない大正10年に住友家から隣接する茶臼山とともに大阪市に寄贈された。
最後に、慶沢園に隣接する歴史的建造物を紹介する。
旧黒田藩蔵屋敷長屋門である。
真田幸村―大阪冬の陣夏の陣 (学研まんが人物日本史 江戸時代前期)
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真田幸村と大坂の陣―家康を震撼させた猛将の戦い (歴史群像シリーズ―新・歴史群像シリーズ)
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真田幸村―十文字槍の天才軍師 (戦国闘将伝) (戦国闘将伝)
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こんにちは^^
河底池って名前がどうも気になりますが、どうしてこんな名前が付いたのでしょうね。
大阪にこんな立派な庭園があるとは知りませんでした。
黒田藩の蔵屋敷長屋門・・・黒田藩って福岡のでしょ? これも何故?ですわ。
歴史に疎いもので(__;
by mimimomo (2008-12-27 12:38)
mimimomo さん
大阪は商業の町なので、年貢で集めた米をお金に買えるため、大藩は大阪にも屋敷を持っていたのでしょう。
by マイケル (2008-12-27 17:26)
有名な古戦場、いいですね。でもそんなところにあったなんて。
行く機会何度もあったのに。いつか行きます。
by ノリパ (2008-12-28 16:49)
ノリパ さん
ほとんど気づかない地味なものです。
by マイケル (2009-01-01 08:27)