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第38番 金剛福寺① [四国八十八ヶ所めぐり]

名称  蹉蛇山 足摺山 金剛福寺
宗派  真言宗豊山派
本尊  千手観世音
住所  高知県土佐清水市足摺岬214-1
ご詠歌   ふだらくや ここはみさきの ふねのさほ
         とるもすつるも のりのさだやま



金剛福寺




8月7日(金)。この日の宿は、四万十川の畔にとってあるが、まだ日が高いので、第38番金剛福寺と足摺岬まで足を延ばすことにした。翌日が強行日程が予想されるからだ。

四万十川から海岸沿いに行くが、足摺スカイラインに入ると、道路は山を登っていく。途中から霧がかかってくる。大した霧ではないが、家内がうるさく言うので、ライトをつける。俄かに天気が悪くなったのかと思ったが、スカイラインを抜けると、元の晴れた夏空に戻った。

金剛福寺の広い駐車場に車をとめる。

駐車場に、かなりの数の仏像が並んでいる。

駐車場の石仏.jpg


駐車場から仁王門に向かうが、仁王門に至る前に、大師像が迎えてくれる。

お迎え大師.jpg

お迎え大師だ。


金剛福寺は、南国情緒があって、仁王門の前に立つと、何故かわくわくしてくる。

山門前.jpg
金剛福寺前


仁王門.jpg
仁王門2.jpg
仁王門

仁王像.jpg
仁王像


金剛福寺は、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた弘法大師が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創した。弘法大師が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。

歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。室町時代には尊海法親王が住職を勤め、一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。


平成大修理.jpg

仁王門のところに、平成大修理にかかる敷石の寄進の依頼文があった。

私も、1000円寄進して、敷石にマジックで住所と名前を書いた。

(続く)


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