第43番 明石寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
名称 源光山 明石寺
宗派 天台宗寺門派
本尊 千手観世音
住所 愛媛県西予市宇和町明石104
ご詠歌 きくならく せんじゅふしぎの ちからには
だいばんじゃくも かるくあげいし
明石寺仁王門
欽明天皇の勅願によリ、正澄上人が千手観音像を本尊として堂宇を建立したのがはじまり。天平6年(734)から5代目の寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し十二坊を建てて修験道の道場に改めた。
弘仁13年(822)弘法大師が嵯峨天皇の勅願によって堂宇を復興した。
その後、建久5年(1194)には源頼朝が命の恩人、池の禅尼の菩提をとむらうため阿弥陀堂を建て、経塚を造った。この時現光山と号していた山号を源光山と改めた。いらい武士はもとより、庶民の信仰を大いに集め、寺運は大いに栄えて現在の偉容を見るに至った。
境内の「時雨の桜」は寛永年間(1624‐44)に大覚寺の空性法親王が来られた時、庭の桜の樹の根元だけに霧が掛り雨が降ったので名付けられたといわれる。
明石寺本堂
色褪せた天井画が歴史を感じさせる。
明石寺大師堂
(続く)
宗派 天台宗寺門派
本尊 千手観世音
住所 愛媛県西予市宇和町明石104
ご詠歌 きくならく せんじゅふしぎの ちからには
だいばんじゃくも かるくあげいし
明石寺仁王門
欽明天皇の勅願によリ、正澄上人が千手観音像を本尊として堂宇を建立したのがはじまり。天平6年(734)から5代目の寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し十二坊を建てて修験道の道場に改めた。
弘仁13年(822)弘法大師が嵯峨天皇の勅願によって堂宇を復興した。
その後、建久5年(1194)には源頼朝が命の恩人、池の禅尼の菩提をとむらうため阿弥陀堂を建て、経塚を造った。この時現光山と号していた山号を源光山と改めた。いらい武士はもとより、庶民の信仰を大いに集め、寺運は大いに栄えて現在の偉容を見るに至った。
境内の「時雨の桜」は寛永年間(1624‐44)に大覚寺の空性法親王が来られた時、庭の桜の樹の根元だけに霧が掛り雨が降ったので名付けられたといわれる。
明石寺本堂
色褪せた天井画が歴史を感じさせる。
明石寺大師堂
(続く)
タグ:お寺 四国八十八ヵ所めぐり
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