SSブログ

高野山④ 壇上伽藍その2 [四国八十八ヶ所めぐり]

松.jpg
三鈷(さんこ)の松

延暦二十三年五月に入唐した弘法大師が、その二年後、帰朝する際、明州の浜で、「私の学んだ密教を教え広める根本道場として、伽藍を建立しようと思う。願わくば伽藍建立に適した地を示したまえ」
という誓願を立てて、空に向けて密教法具の三鈷杵を投げると、それは東の空へ飛び去った。
弘法大師が帰朝の後、伽藍建立の地を探し紀伊の国の高野の山で、松の枝に、明州の浜から投げられた三鈷杵が、光を放ちながら掛かっているのを見つけ、この地に伽藍を建立する事となった。

伽藍の境内、御影堂の前には今も三鈷の松が立っており、その松葉は不思議なことに3本の針を持っている。
この松葉を拾っては持ち帰り、お守りとする方々が絶えない。
幾度もの火災に焼かれ、今ある松は六代目の実生(みしょう;種から生えたもの)である。


六角.jpg
荒川経蔵(六角経蔵)

1159年、鳥羽天皇の皇后美福門院が天皇の菩提を弔う為に寄進、皇后自らが紺色の紙に金の字で写経した一切経3568巻を収めた。
このお経は美福門院経又は荒川経とも呼ばれ現在は霊宝館に保管されている。
荒川というのは経と共に寄進された土地、荒川荘から来ている。現在の建物は再建である。



山王院.jpg
山王院 

地主神の拝殿として藤原時代に建てられた。


御社.jpg
御社(みやしろ)

高野山の地主神 丹生都比売 狩場 両明神を祀る。文禄三年(1594)建立。


西塔.jpg
西塔2.jpg
西塔

仁和3年(887)弘法大師の残した御図記に基づいて建立された。本尊は金剛界5仏で根本大塔と一対をなす。


孔雀堂.jpg
孔雀堂

後鳥羽上皇が請雨祈願の成就の褒賞として正治2年(1200)建立。昭和元年焼失、昭和58年再建した。


唯紙堂.jpg



三昧堂.jpg
三昧堂

西行法師が修行したことで知られる。
堂の前の桜は西行手植えとと伝えられ、「西行桜」と呼ばれる。


東塔.jpg
東塔

西塔より創建は新しく、白河法王の御願に尊勝仏頂尊を本尊として建立された。天保14年(1843年)の大火で堂は焼失したが、不動明王・降三世(ごうさんぜ)明王の脇侍(きょうじ)2体と共に尊像は創建当時のものである。
建立は1127年、再建は1984年。

(続く)

nice!(11)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 11

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

高野山③ 壇上伽藍高野山⑤ 大門 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。