京都の紅葉2010⑧ 法然院の山門と白砂壇 [紅葉]
哲学の道から東に入ったところに法然院がある。
法然院の参道に入り、空を見上げると、真っ赤な紅葉の木々が覆いかぶさってくる。
鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた。1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。
江戸時代初期の1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。
これが法然院の起りである。
参道を進むと、苔むした茅葺の山門に達する。
山門をくぐると、左右に白い盛り砂がある。白砂壇である。ちょうど砂の上に、もみじの模様が描かれている。
砂壇は水を表わしており、砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。
境内に入り、右手に講堂がある。ちょうど陶器の展示会即売会をやっていた。コンサートもここで行われるらしい。ざっと作品を眺めたが、高くてとても手が出なかった。
講堂
真っすぐ奥に進み、本堂に向かう道の交差点に、手水鉢がある。普段は、季節の花を水の上にそっと浮かべているのだが、この日は真っ赤な落ち葉でいっぱいだった。
(続く)
法然院の参道に入り、空を見上げると、真っ赤な紅葉の木々が覆いかぶさってくる。
鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた。1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。
江戸時代初期の1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。
これが法然院の起りである。
参道を進むと、苔むした茅葺の山門に達する。
山門をくぐると、左右に白い盛り砂がある。白砂壇である。ちょうど砂の上に、もみじの模様が描かれている。
砂壇は水を表わしており、砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。
境内に入り、右手に講堂がある。ちょうど陶器の展示会即売会をやっていた。コンサートもここで行われるらしい。ざっと作品を眺めたが、高くてとても手が出なかった。
講堂
真っすぐ奥に進み、本堂に向かう道の交差点に、手水鉢がある。普段は、季節の花を水の上にそっと浮かべているのだが、この日は真っ赤な落ち葉でいっぱいだった。
(続く)
あけましておめでとー^^
ことしもよろしくです☆
by HAL (2011-01-03 15:55)