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京都の紅葉2010⑩ 安楽寺 [紅葉]

法然院から、さらに南に下ると、安楽寺がある。

門の下の石段のところに大きなもみじの木があり、大勢の人が上を見上げて、写真を撮っている。

門前の紅葉.jpg

門前の紅葉2.jpg

門前の紅葉3.jpg

住蓮山安楽寺は、法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人を開基とする。この両上人が、現在地より東1キロメートルあたりに「鹿ヶ谷草庵」を結んだのがこの寺のはじまりである。
 
山門下の石柱には、「浄土礼讃根元地」と刻まれている。両上人は、唐の善導大師の『往生礼讃』に大原魚山(天台宗)の礼讃声明を転用して浄土礼讃を完成させた。両上人が称える礼讃は誠にすばらしく、両上人の前で出家を希望する人もあった。
 
その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおった。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘し、仏門に入りたいと願うようになった。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞う。最初、両上人は出家を認めなかったが、両姫のお詠に感銘する。

「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」

これは両姫が出家を請い、歌った歌である。
 
19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かる。また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かる。
 
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てる。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(現在の滋賀県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首された。迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国に流罪、親鸞聖人を越後国に流罪に処す。いわゆる建永(承元)の法難である。
 
その後、両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられている。

安楽山門.jpg

安楽寺山門.jpg

境内から見た山門。山門の向こうに真っ赤な紅葉が見える。

安楽寺本堂.jpg
本堂

庭も、正面の庭、中庭等いろいろいあって、それぞれ素晴らしい。

安楽寺庭園.jpg

中庭.jpg

前栽.jpg

室内から.jpg

室内から庭を眺める。

安楽寺蹲.jpg

つくばいは、水がなく、枯葉がつまっていて、ちょっびり残念。

紅葉アップ.jpg

そして、もみじのアップ。

(続く)


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コメント 1

hanamura

 茶室などの室内から、お庭を眺めるのは…良いですねぇ。
by hanamura (2011-01-10 19:33) 

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