北陸の旅⑧ 兼六園 [公園]
金沢と言えば、兼六園である。金沢城の向かいにある。
兼六園は、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つで、国の特別名勝にも指定されている。江戸時代、加賀藩の庭園として造られたことに端を発する。延宝4年(1676年)に5代藩主前田綱紀が「蓮池亭」を造り、その庭を「蓮池庭」と呼んだのが始まりである。
13代藩主前田斉泰が現在のものにほぼ近い形にした。「兼六園」の名称は宋代の詩人・李格非が『洛陽名園記』の中で、中国洛陽の名園「湖園」を謳った「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」に倣い、文政5年に白河楽翁公(松平定信)によって命名された。
桂坂口から門を入り、しばらく行くと、大きな池があり、見たことのある石灯籠がある。
池は霞ヶ池と言う。
石灯籠は徽軫灯籠と言う。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ているのでその名が付いたと言われている。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したものである。
近くにいた小学生くらいの女の子が、お母さんに、「この景色、NHKのニュースで最初に出てくる景色だね」と言っていた。金沢のNHKニュースでは、最初に兼六園が映し出されるらしい。兼六園は大名庭園だけあって、園内に様々な松が植わっている。
公園の中央のやや東側に大きな銅像があった。
「明治紀念之標」である。
中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものである。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。
さらに公園を散策する。とても気持ちのいい公園だった。
(続く)
兼六園は、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つで、国の特別名勝にも指定されている。江戸時代、加賀藩の庭園として造られたことに端を発する。延宝4年(1676年)に5代藩主前田綱紀が「蓮池亭」を造り、その庭を「蓮池庭」と呼んだのが始まりである。
13代藩主前田斉泰が現在のものにほぼ近い形にした。「兼六園」の名称は宋代の詩人・李格非が『洛陽名園記』の中で、中国洛陽の名園「湖園」を謳った「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」に倣い、文政5年に白河楽翁公(松平定信)によって命名された。
桂坂口から門を入り、しばらく行くと、大きな池があり、見たことのある石灯籠がある。
池は霞ヶ池と言う。
石灯籠は徽軫灯籠と言う。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ているのでその名が付いたと言われている。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したものである。
近くにいた小学生くらいの女の子が、お母さんに、「この景色、NHKのニュースで最初に出てくる景色だね」と言っていた。金沢のNHKニュースでは、最初に兼六園が映し出されるらしい。兼六園は大名庭園だけあって、園内に様々な松が植わっている。
公園の中央のやや東側に大きな銅像があった。
「明治紀念之標」である。
中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものである。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。
さらに公園を散策する。とても気持ちのいい公園だった。
(続く)
二度行きましたが随分昔の話になりました。
by Silvermac (2012-01-10 06:19)