瑠璃光寺 [神社仏閣]
夏休みも終わりだ。
今年の夏も、家内のテニスの試合に付き合わされ、遥遥山口県まで行くことになった。例によって、試合の間、近くの観光地を回ることになった。
今年は、山口市にある、美しい五重塔で有名な瑠璃光寺に行く。
瑠璃光寺は、曹洞宗の寺院で、山号は保寧山という。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。
瑠璃光寺の前身は、陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した安養寺で、現在の山口市仁保高野にあったが、明応元年(1492年)に瑠璃光寺と改められた。
江戸幕府成立後、萩に依った毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩に引寺したため、跡地に元禄3年(1690年)、仁保瑠璃光寺を移転した。これが現在の瑠璃光寺である。
境内の五重塔は国宝で、大内文化の最高傑作といわれる。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられる。
境内には、薩長連合結成の密議のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際に長州方と面会した枕流亭等幕末の名勝旧跡もあった。
今年の夏も、家内のテニスの試合に付き合わされ、遥遥山口県まで行くことになった。例によって、試合の間、近くの観光地を回ることになった。
今年は、山口市にある、美しい五重塔で有名な瑠璃光寺に行く。
瑠璃光寺は、曹洞宗の寺院で、山号は保寧山という。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。
瑠璃光寺の前身は、陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した安養寺で、現在の山口市仁保高野にあったが、明応元年(1492年)に瑠璃光寺と改められた。
江戸幕府成立後、萩に依った毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩に引寺したため、跡地に元禄3年(1690年)、仁保瑠璃光寺を移転した。これが現在の瑠璃光寺である。
境内の五重塔は国宝で、大内文化の最高傑作といわれる。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられる。
境内には、薩長連合結成の密議のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際に長州方と面会した枕流亭等幕末の名勝旧跡もあった。
タグ:お寺
瑠璃光寺には訪れことがあります。
by Silvermac (2012-09-03 06:23)
瑠璃光寺の五重塔きれいですよね、それがしもまた行ってみたいところです!
by ノリパ (2012-09-03 22:44)