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伊勢神宮 内宮 [神社仏閣]

ゴールデンウィークに伊勢神宮にお参りしてきました。この年(58歳)になって、伊勢神宮は初めてです。子供達は修学旅行とかで行っているみたいです。

カーナビで伊勢神宮外宮を設定する。カーナビで外宮と内宮が出てきたのですが、私は外宮は内宮の外側にあるのだと思っていたのです。周囲から攻めて、最後に中心にと考えていたのです。後で外宮と内宮は別々の神様を祀っていて、場所も別だと知りました。

ゴールデンウィークの混雑を避けるため、高速道路の伊勢西ICの出口が閉鎖されていて、伊勢ICで降りることにしました。伊勢ICだと、内宮が近いので、目的地を内宮に切り替えました。これが正解でした。

次に駐車場ですが、内宮に近い民間の駐車場はあったのですが、市営の駐車場に停めようとすると、河原の随分遠い駐車場になりました。市営だと無料かと思いましたが、出る時に600円取られました。おそらく民間はもっと高いのでしょう。

参拝する前に腹ごしらえをすることにしました。川沿いの「手こね茶屋」という店に入りました。店はそれほど混んでおらず、並ばずに座られました。伊勢名物の「伊勢うどん」と「手こね寿司」のセットを注文しました。伊勢うどんというのは、色も味も濃いおつゆのうどんです。手こね寿司は、寿司飯の上に醤油で味をつけた鮪がのせてあります。私には、どちらも少し辛いようです。

おかげ横丁を通って、いよいよ参拝です。本殿まで何回か鳥居をくぐりました。その都度一礼しました。宇治橋を渡りました。五十鈴川で禊をしました。

大きな木々の間を進んでいくと、心が洗われて、とても神仙な気持ちになってきます。

伊勢神宮.jpg

御修殿、荒祭宮にお参りしました。帰りに御朱印もいただきました。

今月終わりに開かれるサミットの際に、安倍首相はオバマ大統領らを伊勢神宮に案内するのかもしれませんが、伊勢神宮は外国の人には分かりにくいかもしれませんねぇ。

帰路、おかげ横丁の郵便局の前で伊勢志摩サミットの記念切手を購入する。

(完)


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北野天満宮 [神社仏閣]

北野天満宮.jpg

防府天満宮を紹介したついでに、北野天満宮も紹介する。

京都に紅葉を見に行ったついでに寄った。

寄ったといっても、実は嵐電の北野白梅町駅で降りて、誤って天満宮とは逆の方向に歩いてしまい。気がついたのは20分ほど行ってからだ。それから引き返したのだから、およそ1時間ほどロスをしたのではないか。途中で帰ろうかと思ったが、受験生を持つ親心で、我慢強く歩いた。

北野天満宮創建に纏わる話は以下のとおりである。

延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。後に藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。

したがって、北野天満宮創建は、菅原道真の死後随分立ってということになる。

社殿のお参りする人が中央に列をなしており、案内板に急ぐ方は左右からとあった。お言葉に甘えて、左手から参拝させてもらった。

少し高かったが、お守りを買ったが。合格祈願というお守りはなく、学業成就というお守りしかなかった。


タグ:神社
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防府天満宮 [神社仏閣]

防府天満宮.jpg

日本三大天神の一つである。

日本三大天神とは、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とここ防府天満宮である。

なぜ、ここ防府天満宮が、日本三大天神の一つかというと、道真が宮中での権力争いで失墜し、九州の大宰府に流されていく道筋での宿泊地の一つが防府だからである。道真が亡くなった翌年である延喜2年(904年)に創建され、「日本最初に創建された天神様」を名乗っている。

この日は平日とあって、参拝客は少なかった。

受験生を抱える親として、合格祈願のお守りを買おうと思ったが、以外に高かったので、お祈りだけすることにした。




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タグ:神社
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瑠璃光寺 [神社仏閣]

夏休みも終わりだ。

今年の夏も、家内のテニスの試合に付き合わされ、遥遥山口県まで行くことになった。例によって、試合の間、近くの観光地を回ることになった。

今年は、山口市にある、美しい五重塔で有名な瑠璃光寺に行く。

瑠璃光寺.jpg

瑠璃光寺は、曹洞宗の寺院で、山号は保寧山という。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。

室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。

瑠璃光寺の前身は、陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した安養寺で、現在の山口市仁保高野にあったが、明応元年(1492年)に瑠璃光寺と改められた。

江戸幕府成立後、萩に依った毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩に引寺したため、跡地に元禄3年(1690年)、仁保瑠璃光寺を移転した。これが現在の瑠璃光寺である。


境内の五重塔は国宝で、大内文化の最高傑作といわれる。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられる。

境内には、薩長連合結成の密議のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際に長州方と面会した枕流亭等幕末の名勝旧跡もあった。


タグ:お寺
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北陸の旅③ 永平寺 [神社仏閣]

今回北陸に行くに際して、城めぐりとは別に楽しみにしていたのが、この永平寺だ。

それは二つの理由からだ。20年以上前に社内旅行で福井に来る機会はあったのだが、当時のトップが永平寺は何度も行ったので、平泉寺に行こうと言いだした。平泉寺は、司馬遼太郎の「街道をゆく」に出てくる。でも、平泉寺は当時の私には何の興味もないお寺だった。むしろ、有名な永平寺に行けないのを残念に思った。
もう1つは、最近立松和平著の「道元禅師」を読んで、縁の地に行ってみたいと思ったことだ。

とにかく来て観て驚いたのは、その大きさである。

参拝者入口.jpg
通用門

通用門をくぐると、近代的な吉祥閣という建物に入り、靴を脱いで、後は建物の中を移動することになる。廊下や階段を抜けて、七堂伽藍のあるところに至る。山門は下の方に見える。

永平寺山門.jpg
山門
山門は「三門」とも書かれる。総欅造りの唐風の楼門で間口9間、奥行き5間の二重層からなる。永平寺伽藍の最古の建物で寛延2年(1749)8月、永平寺42世円月江寂禅師によって再建されたものである。

下層には四天王を祀り、上階には五百羅漢を安置する。昭和55年に福井県の文化財に指定された。

山門から見て、正面に仏殿がある。

本堂.jpg
仏殿.jpg
仏殿
仏殿は釈迦牟尼仏を祀る堂で別名「覚王宝殿」あるいは「三世如来殿」とも呼ばれる。永平寺の仏殿は明治35年(1902)、高祖大師650回忌を記念して改築された総欅造りの中国宋代の形式に従った石畳敷きのものである。

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タグ:お寺
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長岡天満宮 [神社仏閣]

長岡京に来たついでに、長岡天満宮にお参りすることにした。

勝竜寺城公園から長岡天満宮まで歩いた。結構な距離だ。

神社の前の天下一品でラーメンの大盛を食べる。他に食事をするところがないのか、店に入るために路上駐車している車が多かった。駐車場が少し離れたところにあるのだが、そこに入れている車は少なかった。

正面の大鳥居をくぐると、両側が池になっている。これは、八条ケ池といって、 寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮智仁親王が造るように命じた、灌漑用の溜め池である。 外周は約1㎞、貯水量 は約35000トンあるという。

八条池左手.jpg
池の左手奥に社殿がある。

鳥居1.jpg
鳥居2.jpg
社殿.jpg
社殿2.jpg
本殿

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タグ:神社
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頼久寺 [神社仏閣]

備中松山城の城下町、武家屋敷が立ち並ぶ辺りに、頼久寺はある。

頼久寺は、臨済宗永源寺派の寺院で、山号は天柱山。本尊は聖観世音菩薩である。

起源については不詳であるが、1339年(暦応2年)、足利尊氏により再興され、備中国の安国寺とされた。中国より帰国した寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。

永正年間(1504年 - 1521年)、備中松山城城主、上野頼久が大檀越となり寺景を一新した。1521年(大永元年)、頼久が逝去したので、その2文字を加え、寺号を安国頼久寺に改称する。

頼久寺.jpg
頼久寺正面

頼久寺山門.jpg
山門

頼久寺本堂.jpg
本堂


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タグ:お寺 庭園
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金毘羅詣で③ 奥社 [神社仏閣]

金毘羅さんには、小さい頃から何度も来たことがあるが、奥社には一度も行ったことがない。今回は奥社まで行くことにした。

参道の石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなる。まだ、583段もある。

先のことはあまり考えず、一歩ずつ進む。人生と一緒だ。


中間地点とも言える場所に、白峰神社がある。

白峰神社.jpg
白峰神社

白峰神社の御祭神は崇徳天皇である。相殿には、天皇の御母である待賢門院と大山祇の二柱が祀られている。また、随神として源爲義と源爲朝の木像が安置されている。

この辺りから、徐々に急な石段が増していく。

そして、ついに奥社である厳魂神社に到達する。

奥社.jpg
鳥居

奥社2.jpg
厳魂神社

厳魂神社には、金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祭られている。

厳魂神社の西側には断崖があり、崖下には方石が一面に折り重なっている。威徳巖という。

岩肌.jpg
断崖

天狗.jpg
天狗

断崖の上方には天狗とカラス天狗の彫物がある。

下界.jpg

奥社からの眺望は素晴らしいのだが、この日き霞んでいて、よく見えなかった。


タグ:神社
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金毘羅詣で② 本宮 [神社仏閣]

急な石段を登り、漸く大門まで辿り着く。日頃の運動不足がたちまち現れる。足が上がらない。

大門.jpg
大門

大門をくぐると、しばらく平坦な道が続き、ホッとする。

金毘羅参道.jpg

そして、再び登りの石段がある。

金毘羅石段.jpg

さらなる石段.jpg

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タグ:神社
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金毘羅詣で① うどん [神社仏閣]

「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」

森の石松は、金毘羅詣での帰りに都鳥一家に騙し討ちに会う。


冬場、寒いことから、ついつい休日も家にいることが多く、気がつけば、ズボンがきつくなっていた。

運動不足解消に久し振りに出掛けることにした。

金毘羅さんで、長い石段を登れば、少しは運動になるだろうと出掛けた。

高速バスで一時間半かけて、高松に着く。

高松から、ことでんで、さらに一時間、ようやく琴平駅に着く。

金毘羅さんには、小さい頃も含めると、何度も訪れた。一番最近は、3年半程前だ。夏の暑い日、前日の寝不足もあり、すっかりばててしまった。

石段を登る前に、腹ごしらえをすることにした。

参道の両側に、うどんやが並んでいる。

その中で、古くて由緒ありそうな店に入る。中に入ると、「いらっしゃいませ」と声をかけられ、席に案内される。
讃岐うどんは、セルフが多く、初めての店に行くと、システムが分からず、いつも戸惑う。普通の店でほっとする。

天麩羅うどんを頼む。腰の強い讃岐うどんとは少し違うが、だしはうまい。

うどん.jpg

とらや.jpg

参道には、こういう古い建物と、ソフトクリーム屋さかとかの新しい店とがあり、コントラストがいい。

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タグ:神社
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