漢検受験 [学校]
中学二年生の三男が、漢検の3級を受けるというので、インターネットで申込みをしてやり、ついでに私と高校2年生の次男も一緒に受けることにした。私は、2級を、次男は準2級を受けることにした。
2級くらい、勉強しなくてもと思ったのだが、実際に問題集をやってみると、意外に出来ないのである。読みはほぼ完璧だが、書きとりが出来ないのである。日頃から、ワープロに慣れてしまって、漢字が出てこないのである。
問題集を2回通りやって、今日の本番に臨んだ。
試験の時間は、級によって異なる。2級が朝10時から11時、準2級が11時50分から12時50分。3級が1時40分から、2時40分までである。会場は、大阪工業大学の大宮キャンパスで、我家から1時間半弱かかる。私と次男が一緒に出かけ、三男は家内が送って行くことになった。
会場に着くと、大勢の人でいっぱいだった。
問題はと言うと、部首と四字熟語が難しかった。問題を以下に紹介するので、解いてみてほしい。
○次の漢字の部首を記せ。
1 煩 2 亜 3 畝 4 翁 5 喪 6 衷 7 享 8 朱 9 竜 10 剰
○次の四字熟語の( )に入る適切な語を下の語句の中から選び、漢字二字で記せ。
ア 生生( ) イ 志操( ) ウ 支離( ) エ 当意( ) オ 情状( )
カ ( )自在 キ ( )外親 ク ( )雨読 ケ ( )顕正 コ ( )不敵
かんきゅう・けんご・しゃくりょう・せいこう・そくみょう・だいたん・ないそ・はじゃ・めつれつ・るてん
帰りに回答をくれたので、自己採点をしたら85%程度は正解のような気がするが、どうだろうか。子供達はいずれも自信ないと言う。結果はともあれ、過程が大事で、勉強になればいいと思う。親子で勉強して、試験を受けるというのはいい経験だが、せめて親の威厳だけは保ちたいものだ。
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ソフトテニス大会観戦 [学校]
中学一年生の三男が、ソフト・テニスの大会に出るので、夫婦で応援に行くことにした。大会といっても、三市一町の小さな大会である。上の子は、二人ともハンドボールをやっており、ハンドボールの試合はよく見に行ったが、ソフト・テニスの試合を見に行くのは初めてだ。
我が家の子供達は、親に似て、おっとりしたところがあり、競争心が欠如している。スポーツでも、勉強でも、負けん気がなく、人並みでいいというようなところがあり、あまり大成しない。
家内が若い頃から、テニスをやっていた関係で、三男には小学校の頃からテニス・スクールに通わせていたが、なかなかうまくならなかった。中学校に入って、自分で進んで、(硬式テニスのクラブがないので)ソフト・テニスのクラブに入った。
公式試合には何試合か出ているようだが、私たちが見に行くのは初めてだ。本人は、友達の手前、親に来てもらうのが恥ずかしく、来てくれるなと言っていたが、家内がどうしても見たいと言うので、内緒で出かけた。
会場は隣町の体育館だ。2階から観戦することが出来る。
私は、子供の気持ちも分かるので、そっと遠くから隠れて観戦するつもりだったが、家内はずうずうしく子供達のいるところに行って、選手一人一人に声をかけている。うちの子供は嫌な顔をしている。
試合には、子供の学校からは、2年生7ペア、1年生3ペアの合計10ペア出ている。うちの子は1回戦最後の試合だった。子供の学校の2年生は、強い選手が多く、順調に勝ち進んだ。うちの子が最後の試合ということは、一番下手なのだが、試合の相手も同じようなレベルだった。お互いミスの連発で、結果的には、うちの子供の組が3対2で勝ったのだ。まさしく奇跡だった。うちの子の数少ないナイス・ショット(?)が決まると、観戦している周りの子供達が信じられないと言う表情で喜んでくれた。試合に勝つと、テニス部の顧問の先生が、私たち夫婦のところにやって来て、おめでとうと言ってくれた。
=サーブの瞬間だが、多分フォルトになったと思う=
しかし、奇跡は続かなかった。二回戦は第三シードの強豪で、全くレベルが違うという感じだった。結局、1対3の完敗だった。1ゲームだけでも、取れただけでも良かったと言える。
自分の子供が負けた時点で私たちは帰ったのだが、後で聞くところによると、子供の学校の二年生の3ペアが1~3位を独占したようだ。
子供は、学校や外で友達といる時は、家庭で家族といる時とは明らかに異なり、全く違った一面を見せてくれる。本当に自分の子供のことを理解するには、子供の外の顔を知ることが必要だと思った。それなりに有意義な1日だった。
子供の読書 [学校]
最近の子供はあまり本を読まない。うちの子供も例外ではない。
うちは男の子が3人いるが、どの子も国語が苦手だ。
本を読ませることが第一だと思って、あの手この手と考えるが、あまりうまく行かない。
本を一冊読んで簡単な読書感想文を書けば、その都度100円やると決めても、最初の1~2冊だけで、長続きしない。
今度一番下の子が、中学に入ったが、この子も国語嫌いだ。
夏休みを利用して、読書の習慣をつけさせ、この苦手科目を克服させるために、次のような約束をした。
遺失物届 [学校]
中学校1年生の三男が、急にかばんをなくしたと言い出した。
話は要領を得ないが、整理して見ると以下の通り。
私の住んでいるマンションの隣りに結婚式場があるが、昨日その駐車場で、友達とボール遊びをしていたらしい。
その時、かばんはどこか通路のようなところに置いていたようだ。
遊び終わって、かばんを置いていた場所に行ってみたが、あるはずの場所にかばんはなかった。
母親に言うと怒られるので、朝母親が出かけた後、独りで警察に行って、遺失物として届けられていないか確かめて来た。そして、なかったので、改めて遺失物届を提出してきたということだ。
「それなら、まず、警察ではなく、結婚式場に行ってみるべきだ。拾った人は、警察までわざわざ持って行かないよ。結婚式場の敷地なら、結婚式場のフロントに届けるはずだ」とアドバイスした。
「分かった」と言って、早速結婚式場に出かけて行った。そして、すぐに帰って来て、見つかったと報告した。
「では、警察に、見つかったと連絡した方がいいよ」と言うと、早速電話をかけ始めた。そばで聞いていると、この電話も要領を得ず、シドロモドロになっている。いきなり代表に電話して、さっきの○○ですが‥‥、と始めている。やっとのことで、用件を伝え終わって、出た言葉が「きつかった」。
そこで再びアドバイス。
「まず、電話をする前に、頭の中で何を話すか整理すること。それから、電話に出て来た人にいきなり用件を話すのではなく、まず、内線番号を言って、そこの部署につないでもらうか、係りの人の名前を言う必要があるよ」と。
子供にとって、いい教訓になったようだ。
でも、いきなり警察に行く、行動力には感心したが、まず、その前に親に相談しておれば、簡単に解決したはずだ。
世の中、こういうことって、いっぱいあるような気がする。
独り悩んで、ああでもない、こうでもないと試行錯誤の上、何らかの行動を起こすが、うまく行かない。ところが、その道の専門家なり、物事に精通した人に相談すればいとも簡単に解決することがある。
私も今回の件で、少し学んだ。
北原照久氏教育講演会 [学校]
テレビ「開運!なんでも鑑定団」でおなじみの、ブリキのおもちゃ博物館館長北原照久氏の講演会に行った。子供の通っている学習塾の主催で、無料だった。講演会のテーマは、「夢はかなう!きっとかなう!」。
テレビでは、紳士で、優等生で、何の苦労もなく育ったお坊ちゃんというイメージだったが、実際に話を聞くと、最初の印象とは大違いだった。話は非常にうまくて、熱っぽく語ると言う話し振りだった。
まずは、子供の頃の話。
氏は、4人兄弟の末っ子で、上3人が非常に出来たこと、それと比べられることへの反発から、ほとんど勉強しなかった。学校の試験では、名前だけの白紙の答案しか出さなかった。そのため、小学校の6年間は、通知表がすべてオール1だった。
中学校になって、一橋中学という進学校に進んだが、学校の中で最低のクラスで、最初の日、先生の言った次の言葉が氏のやる気をなくさせた。「他のクラスのじゃまをしてくれるな。」氏は、ほとんど学校に行かなくなり、映画館や盛り場を遊び歩いた。そして、中学3年の時に退学処分に。
そういう氏でも、受け入れてくれる高校があり、本郷高校という学校に進んだ。そこで、ある人と運命的な出会いをする。それは、熱血教師の沢辺先生だった。たまたま氏が出鱈目に書いた答案用紙で60点をとったのを、先生は大げさにほめてくれた。先生にほめられたいがために、氏は今度は本気で勉強するようになり、クラスで一番になった。
氏は、一番になることが如何に大事か熱っぽく語る。会場の聴衆に向って問う。
「皆さん、日本で一番高い山を知っていますか?」
「富士山!」
誰かが答える。
「では、日本で2番目に高い山は?」
?????
返事がない。
「しらね山です。そうです、一番は誰でも知っているのに、二番は知らない。ですから、何でも一番にならなければならないのです。私は、最低のクラスでも一番になったことが、私を変えました。」
氏は、高校の3年間見違えるように必死で勉強した。そして、最後には学校の総代をつとめるまでになった。氏を変えたのは、沢辺先生の「やれば出来る」という言葉だったのだ。
氏は、テーマの「夢はかなう!きっとかなう!」について話す。
自分は、それぞれの年代にそれぞれの大きな夢を持っていた。今はほとんどの夢をかなえることができた。私は誤解されているが、決して金持ちではない。その私が、夢をかなえるためには、次の二つが大事だった。
一つは、夢を熱く人に語ることだ。100人に語れば、そのうちの1人は支援してくれる。1000人に語れば10人、10000人に語れば100人。100人の力があれば、夢はかなうと。
もう一つ、夢が実現した時のことを具体的にイメージすることだ。自分には、まだ吉永小百合さんと会うという夢があるが、彼女と会う時、どこで会うか、どういう話をするか、具体的なイメージがある。それが大事だ。
次に、運がつく10箇条について、話す。ぼく流ツキの10箇条は、
①プラス発想
②勉強好き
③素直
④感動
⑤感激
⑥感謝
⑦ついている人と付き合う
⑧親孝行
⑨褒めること
⑩自分はついていると思うこと
一箇条毎に、たとえ話があったが、その中で、一つ印象に残った話がある。それは、親孝行についてだ。親孝行というのは、先祖を大事にすることで、自分の先祖を10代遡れば、1024人の先祖がいる。親を大切にすれば、1024人の先祖が見ており、こいつはいい奴だということで、自分をいい方向に導いてくれるはずだ。私は、自分の誕生日には必ず自分の母にプレゼントをすることにしている。さらに、氏の話を聞いて、感動して、永年音信不通だった親と仲直りした人の話を交える。ちょうど、私の前に座っていた夫婦は、ティッシュで目頭を押さえていた。私もじぃーんとなって、思わず泪が溢れた。
最後に自分の出した本をいくつか紹介した。「珠玉の日本語・辞世の句」の本の紹介では、特攻隊の話が出て、またもや泪。そして、心に残る昭和の歌謡曲のCDブック「昭和アンソロジー」の紹介。昭和の名曲の歌詞の意味を改めて解説されて、じっくり歌を聴いてみたくなった。
2時間とやや長めの講演会であったが、話が巧みで、飽きさせない、心に残る2時間であった。また、氏の年齢を感じさせないバイタリティーに感心した。
帰りに出口で北原氏の本の即売会とサイン会があった。私は、先の「珠玉の日本語・辞世の句」という本を買い、サインしてもらった。笑顔たっぷりで、それぞれの人に握手を交わしていた氏に好感が持てた。
珠玉の日本語・辞世の句 コレクター北原が厳選した「言葉のチカラ」
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ぼく流ツキの10箇条―人生成功の法則は、プラス発想で明るく前向きに
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日曜参観と文化祭 [学校]
先週に引き続き、今度は小学校の参観があった(三男・小六)。
少し遅れて行った。社会科の発表会だ。最近参観日でもこの手のものが多い。
平和学習ということで、戦争をテーマに、6班に別れ、調べ学習をした結果を、パソコンのパワーポイントで発表(プレゼン)する。
非常によく出来た見世物だ。それぞれテーマが分かれており、よく調べているという印象だ。パソコンの使い方も、大したものだ。発表の仕方は、生徒によってかなり差がある。女の子の方がしっかりしており、澱みなくしゃべり、最後の感想もしっかりしたことを話していた。
どの程度生徒たちだけでやり、先生がどの程度介入したかだが、帰ってきた子供に話を聞くと、大部分は自分たちで工夫しながらやったようだ。
ただ、先週の中学校の授業参観とのギャップは何だ。小学校で生き生きしていた子供が、中学校に入ると、とたんに無気力な人間になってしまうのか。家内に話をすると、中学校3年にもなると、できる子とできない子が色分けされてしまい、できない子はやる気をなくしてしまうのだと言う。
先週と今週で、日本のゆとり教育の光と陰を見たような気がすると言えば、大げさだろうか。
続いて、体育館で文化祭があった。文化祭といっても、一部の生徒と、PTA、先生による出し物が披露されるだけだ。
音楽クラブによる演奏「マツケンサンバⅡ」「勇気りんりん」に続いて、PTAのお母さんによるコーラス プリマベーラ。曲は「島人ぬ宝」「そりすべり」。
次に恒例の先生方による合奏「さんぽ」。トトロに出てくる挿入歌だ。
最後にOB?「三國鷙」による踊り「よさこい鳴子踊り」ほか。最後は会場の先生、父兄、子供たちも一緒になって踊る。
授業参観日 [学校]
今日は次男(中学校3年生)の参観日だ。土曜日ということもあり、行ってみる。
ちょうど国語の授業だ。古今和歌集の短歌を勉強している。小野小町と紀貫之の歌だ。
花の色は 移りにけりな いたづらに
我が身 世にふる ながめせし間に 小野小町
人はいさ 心もしらず ふるさとは
花ぞむかしの 香ににほひける 紀貫之
もともと古典は好きだったので、懐かしかった。しかし、子供たちは‥というと、居眠りをしている子がいるではないか。ひぃー、ふぅ、みぃ、よぉ‥、何と四人もいるではないか。先生は怒るでもなく、駄洒落をいいながら、授業を進めている。
そう言えば、父兄が入ってきた時も、後ろの方を見たり何とも落ち着きがない生徒が多かった。先生に質問されても、ボソボソと答えるので、何を言っているのか、分からない。先生は慣れたもので、生徒たちの言うことが分かるようだ。何とも嘆かわしい教育の現場だ。
情けないのは、生徒だけではない。父兄の中にも、授業中に自分の子供に話しかけている親がいた。この親にして、この子ありだ。
たった一時間の授業に集中できない子供たちと、居眠りする生徒を怒らない先生。ここは中学校で小学校の参観日ではない。せめて、参観日の日ぐらい、嘘でもいいから、ちゃんとしろよ。
これが日本の教育の現実であり、最近の学力の低下もさもありなむだ、と考えながら、帰途を歩いていると、ばあさんに声をかけられた。道を尋ねられたのだ。
行きたいという場所が、歩いて行くには、遠すぎるのだ。いろいろ質問しても、しっかりしているか、ぼけているのか、よく分からない。仕方なしに、近くの駅まで案内することにした。まっすぐ、行けば駅に着くというところまで、案内して、別れた。63歳と言っていたが、若いですね、と言いかけて、口ごもった。今の63歳はもう少ししっかりしているぞ。若いものよ、年寄りに一人歩きさせるなと、心の中で怒りながら帰った。
しかし、考えてみれば、自分も年老いた母親を一人暮らしさせている。人のことは言えないな。ちょっぴり反省。