第86番 志度寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
名称 補陀洛山 志度寺
宗派 真言宗
本尊 十一面観世音
住所 香川県さぬき市志度1102
ご詠歌 いぎさらば こよひはここに しどのてら
いのりのこゑを みみにふれつつ
仁王門と五重塔
仁王門は、寛文10年(1670年)、藩主松平頼重によって建立された。
志度寺・本堂は国指定の重要文化財になっている。
金剛力士像
左右に立つ木造金剛力士像は、鎌倉時代の運慶の作と伝えられている。
推古天皇の33年(625)観音菩薩の化身といわれる仏師が漂流して来た霊木で十一面観音像を刻み、お堂を建てたのが始まりといわれている。のち弘法大師が弘仁年間(9世 紀始め)この寺に止まり第86番の霊場に定めた。
お寺には次のような伝説がある。藤原不比等が唐の皇帝の妃となっている妹から賜られた宝珠を志度浦の竜神に奪われ、それを取り返す為当地へ来た不比等は漁師の娘と夫婦となり一子房前をもうけた。妻は命をすてて宝珠を取り返したので不比等はその菩提を弔うため5間4面のお堂を建て志度道場と名付けた。持統天皇8年(649)房前は行基と共に この寺を訪れて堂宇を整備し、寺号を志度寺と改めた。
五重塔
鐘楼
奪衣婆堂
本堂
仁王門とともに讃岐藩主・松平頼重が寛文10年T671)に寄進したもので、本尊とともに重要文化財に指定されている。本尊および両脇侍の不動明王・毘沙門天は、平安初期から中期にかけての作で檜の一木造り。
大師堂
閻魔堂、奪衣婆堂などとともに、讃岐国主・生駒正俊が建立したもの。生駒公は房前を祖とする藤原北家の末裔である。堂の背後にそびえる大楠は弘法大師お手植えと言われている。
三尊仏
宗派 真言宗
本尊 十一面観世音
住所 香川県さぬき市志度1102
ご詠歌 いぎさらば こよひはここに しどのてら
いのりのこゑを みみにふれつつ
仁王門と五重塔
仁王門は、寛文10年(1670年)、藩主松平頼重によって建立された。
志度寺・本堂は国指定の重要文化財になっている。
金剛力士像
左右に立つ木造金剛力士像は、鎌倉時代の運慶の作と伝えられている。
推古天皇の33年(625)観音菩薩の化身といわれる仏師が漂流して来た霊木で十一面観音像を刻み、お堂を建てたのが始まりといわれている。のち弘法大師が弘仁年間(9世 紀始め)この寺に止まり第86番の霊場に定めた。
お寺には次のような伝説がある。藤原不比等が唐の皇帝の妃となっている妹から賜られた宝珠を志度浦の竜神に奪われ、それを取り返す為当地へ来た不比等は漁師の娘と夫婦となり一子房前をもうけた。妻は命をすてて宝珠を取り返したので不比等はその菩提を弔うため5間4面のお堂を建て志度道場と名付けた。持統天皇8年(649)房前は行基と共に この寺を訪れて堂宇を整備し、寺号を志度寺と改めた。
五重塔
鐘楼
奪衣婆堂
本堂
仁王門とともに讃岐藩主・松平頼重が寛文10年T671)に寄進したもので、本尊とともに重要文化財に指定されている。本尊および両脇侍の不動明王・毘沙門天は、平安初期から中期にかけての作で檜の一木造り。
大師堂
閻魔堂、奪衣婆堂などとともに、讃岐国主・生駒正俊が建立したもの。生駒公は房前を祖とする藤原北家の末裔である。堂の背後にそびえる大楠は弘法大師お手植えと言われている。
三尊仏
タグ:お寺 四国八十八ヵ所めぐり
三尊仏ですか。脇侍は菩薩様なのですか。では、一仏ニ菩薩ではないのか、などと。
by 春分 (2008-12-06 09:13)