いざ、松山へ② 萬翠荘と愚陀仏庵 [桜]
前回来た時は寄れなかったが、坂の上の雲ミュージアムの隣に、何か気になる洋風の建物がある。坂の上の雲ミュージアムのホールの窓からはっきり見える。今回は、ついでに寄ることにした。
坂の上の雲ミュージアムの窓から見える洋風建築
坂の上の雲ミュージアムから坂を登っていくと、道沿いに桜が咲いている。まさに満開で見頃である。
桜の道
松山は俳句の町で、町のあちこちに句碑が立っている。
なつかしき 父の故郷 月もよし 高浜年尾
萬翠荘は、旧松山藩主久松家、第15代当主久松定謨が、松山で住む邸宅として欧米外遊帰朝直後の建築家木子七郎に設計建築させた鉄筋コンクリート造の建物である。大正11年に竣工した。現在は、愛媛県美術館分館として定期的に特別展が行われている。
萬翠荘
萬翠荘の前庭にある桜はちょうど満開であった。
藩政時代の井戸
建物の内部に入ってみた。
萬翠荘の裏手の石段を登ったところに愚陀仏庵がある。子規と漱石が同居した愚陀仏庵を復元したものである。
石段を登っていくと、これまた句碑が一つある。
秋晴れの 城山を見て まづ嬉し 今井つる女
愚陀佛庵
灯籠
(次は、松山城へ)
坂の上の雲ミュージアムの窓から見える洋風建築
坂の上の雲ミュージアムから坂を登っていくと、道沿いに桜が咲いている。まさに満開で見頃である。
桜の道
松山は俳句の町で、町のあちこちに句碑が立っている。
なつかしき 父の故郷 月もよし 高浜年尾
萬翠荘は、旧松山藩主久松家、第15代当主久松定謨が、松山で住む邸宅として欧米外遊帰朝直後の建築家木子七郎に設計建築させた鉄筋コンクリート造の建物である。大正11年に竣工した。現在は、愛媛県美術館分館として定期的に特別展が行われている。
萬翠荘
萬翠荘の前庭にある桜はちょうど満開であった。
藩政時代の井戸
建物の内部に入ってみた。
萬翠荘の裏手の石段を登ったところに愚陀仏庵がある。子規と漱石が同居した愚陀仏庵を復元したものである。
石段を登っていくと、これまた句碑が一つある。
秋晴れの 城山を見て まづ嬉し 今井つる女
愚陀佛庵
灯籠
(次は、松山城へ)
綺麗な洋館だなぁw
by ふじかわ (2009-04-06 23:01)
ふじかわ さん
そうでしょう。
by マイケル (2009-04-06 23:45)
明治・大正に建てられた洋館て、重厚な雰囲気がいいですね。
by kimiko (2009-04-08 07:55)