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第52番 太山寺① 路傍の仏像 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称 瀧雲山 太山寺
宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観世音
住所 愛媛県松山市太山寺町1730
ご詠歌    ふとやまへ のぼればあせの いでけれど
          のちのよおもへば なにのくもなし




太山寺


  

伊丹十三記念館の後、第52番札所太山寺を目指す。

太山寺には、山門が3つある。一の門は、冠木門に切妻屋根を架けた簡素な門であるが、どこにあるか、気づかなかった。

二の門(仁王門)は、帰りに寄ることにし、そのまま通り過ぎる。 

納経所の横にある駐車場に車をとめる。先に本堂にお参りするため、そこからかなりの距離を登る。後で、本堂の近くにも駐車場があることが分かる。

ツツジ.jpg
参道沿いに咲いているツツジ

菎蒻に  つつじの名あれ  太山寺

                       正岡子規


句中の「こんにゃく」は昭和25年頃まであった太山寺名物こんにゃく田楽のことで茶店で売っていた。
傍らの美しいつつじの名を借りて「つつじこんにゃく」という名があってもいいのではないかと戯れた気持ちの句。
昭和25年松山名所12ヵ月の句で、自筆の「寒山落木」に「伊予太山寺」と題しており、この文字を拡大して、昭和48年に建立した。

太山寺の草創については、「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。飛鳥時代の用明天皇2年(587年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が止んだ。光の差した場所に行ってみると十一面観音を祀った堂があった。長者は感謝しそこに寺院を建立するため、豊後より一晩で建材を持ち込んだ。そして、山腹に一夜にして寺院を建立したという。

寺伝によれば、天平5年(733年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、天平勝宝元年(749年)に現在の地に移転された。

嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって本堂が再建され、、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。

参道に沿って、様々な仏様が並んでいる。

石仏.jpg
地蔵さん.jpg
大師像大山寺.jpg
石仏2.jpg
石仏3.jpg
石仏4.jpg
観音様2.jpg
手水舎.jpg
大日如来.jpg

(続く)


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コメント 7

SilverMac

寄進された仏像が多い寺ですね。
by SilverMac (2009-05-16 08:35) 

マイケル

SilverMac さん
四国八十八か所のお寺は皆こうですね。
by マイケル (2009-05-16 10:59) 

shinwa

空海はなぜ四国という地を選んだのでしょうか?
by shinwa (2009-05-16 11:28) 

TK

太山寺、中学生の頃、松山在住時に行って以来です。
本堂がすごく大きいんですよね。懐かしいです。
by TK (2009-05-16 12:42) 

マイケル

shinwa さん
空海が四国の出身だからではないでしょうか?
by マイケル (2009-05-16 18:28) 

マイケル

TK さん
中学生が御参りするんですね。
by マイケル (2009-05-16 18:29) 

eyawlk

四国遍路していて、参道の石仏群が印象的でしたね。
by eyawlk (2009-10-07 11:12) 

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