第53番 円明寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
名称 須賀山 円明寺
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
住所 愛媛県松山市和気町1-182
ご詠歌 らいこうの みだのひかりの ゑんみゃうじ
てりそうかげは よなよなのつき
円明寺は、町中にある。
山門
楼門
聖武天聖の勅願によって、行基が阿弥陀如来像を刻み、伽藍を 和気の海岸に建立して如来像を安置し、海岸山・円明寺と名付けたのがはじまりといわれる。のちに弘法大師がこの地を訪れ、第53番の霊場に定めた。 その後、寺運は栄えたが、たび重なる兵火によって広大な堂塔のほとんどが焼失し、寛永10年(1633)にこの地の豪族須賀重久が現在のところへお寺を再興した。さらに3年後には仁和寺の末寺となり、その時山号を須賀山に改め、円明寺となった。
観音堂には十一面観音か安置されているが、この像は、慶長5年(1600)松山城主、加藤嘉明が関カ原の戦に出陣中、前の国主河野家の遣臣が集まって主家再興の兵を挙げた。しかし、この計画が事前にもれて加藤家の夜褒でほとんどが戦死したので、河野家を慕う地元の人が追善供養のため、ひそかに安置したものといわれている。
このお寺には慶安3年(1650)に京都から来た平人家次という人の名の刻まれた銅製の納札が保存されている。
大師堂
本堂
観音堂
句碑
(続く)
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
住所 愛媛県松山市和気町1-182
ご詠歌 らいこうの みだのひかりの ゑんみゃうじ
てりそうかげは よなよなのつき
円明寺は、町中にある。
山門
楼門
聖武天聖の勅願によって、行基が阿弥陀如来像を刻み、伽藍を 和気の海岸に建立して如来像を安置し、海岸山・円明寺と名付けたのがはじまりといわれる。のちに弘法大師がこの地を訪れ、第53番の霊場に定めた。 その後、寺運は栄えたが、たび重なる兵火によって広大な堂塔のほとんどが焼失し、寛永10年(1633)にこの地の豪族須賀重久が現在のところへお寺を再興した。さらに3年後には仁和寺の末寺となり、その時山号を須賀山に改め、円明寺となった。
観音堂には十一面観音か安置されているが、この像は、慶長5年(1600)松山城主、加藤嘉明が関カ原の戦に出陣中、前の国主河野家の遣臣が集まって主家再興の兵を挙げた。しかし、この計画が事前にもれて加藤家の夜褒でほとんどが戦死したので、河野家を慕う地元の人が追善供養のため、ひそかに安置したものといわれている。
このお寺には慶安3年(1650)に京都から来た平人家次という人の名の刻まれた銅製の納札が保存されている。
大師堂
本堂
観音堂
句碑
(続く)
タグ:お寺 四国八十八ヵ所めぐり
遍路は心穏やかに願い事を込めてお参りするのでしょうが
途中途中の旅で色んな楽しみ方もあるでしょうね。写真もその一つですね。
by 旅爺さん (2009-05-18 07:30)