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第46番 浄瑠璃寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称  医王山 浄瑠璃寺
宗派  真言宗豊山派
本尊  薬師如来
住所  愛媛県松山市浄瑠璃町282
ご詠歌   ごくらくの じゃうるりせかい たくらえば
         うくるからくは むくいならまし



浄瑠璃寺





実は、弁天池は、第46番札所浄瑠璃寺の境内にある。

まず、車で来ると、駐車場がすぐ見つからない。石段の下の少し広いスペースに皆停めているので、右に倣えで、路上駐車をする。後で、上の方に駐車場があると分かるのだが、面倒なので、引返さない。

石段の下に句碑がある。松山は俳句の町なので、至る所に句碑がある。

正岡子規の句である。

句碑.jpg

永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺


この地は遍路の元祖といわれる衛門三郎の故郷である。


石段を登る。まず、左手に鐘楼がある。

鐘楼.jpg
鐘楼

境内には、いろいろなものがある。

鎮魂の皿.jpg
鎮魂の皿

かめ.jpg
亀の手水鉢

説法石.jpg
説法石

もみ大師.jpg
籾大師


浄瑠璃寺は、真言宗豊山派の寺院で、本尊は薬師如来である。

和銅元年(708)に行基が奈良の大仏開眼に先立ち、布教宣布のため伊予を訪れ、この寺を讃仏修行の地に定め伽藍を建立した。自ら医王仏を手彫りし、本尊として薬師如来、脇仏の日光・月光両菩薩、十二神像を安置した。寺号の由来は、薬師如来がおられる浄瑠璃浄土の名をとり浄瑠璃寺と号した。

その後、大同2年(807)に、弘法大師が唐より帰朝し、太宰府観音寺に留錫中に、この寺を来錫し、伽藍を再建した。

戦国時代には兵火により、荒廃と再興を繰り返す。

元禄年間(1688~1704)に近くで山火事があり、浄瑠林寺にも延焼して本尊、脇仏は難を免れたが多くの寺宝、伽藍を焼失する。

その後の再建は難しく、江戸時代後期、僧侶の尭音(ぎょうおん)が精魂を傾け焼失後80年余りを経て、見事に再興された。尭音は、この地の庄屋出身の僧で、第四十五番札所の岩屋寺から松山までの土佐街道に八つの橋を架けるなど、社会事業にも活躍した。


本堂前には、大きなソテツとイブキビャクシンの老樹が茂る。

ソテツ.jpg
ソテツ

ビャクシン.jpg
イブキビャクシン

樹齢約千年のイブキビャクシンの大木は弘法大師が加持したものと伝えられ、松山市の天然記念物にも指定されている。

この老木を皆見上げている。カメラを向けている人もいる。フクロウが巣を作っているらしいのだが、私にはよく見えなかった。

仏手花判.jpg
仏手花判
お釈迦様の指紋らしい。

ブーゲンビリア.jpg
南国の花も…。

本堂にお参りする。

本堂3.jpg
本堂.jpg
本堂2.jpg
本堂

そして、大師堂へ。

大師堂の前には、こういう像があった。

だっこ大師.jpg
だっこ大師

大師堂2.jpg
大師堂.jpg
大師堂


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コメント 3

SilverMac

同名の寺は京都府にもありますね。
by SilverMac (2009-07-17 05:53) 

ばん

鎮魂の皿・・・珍しいですね、初めてみました。
by ばん (2009-07-17 09:58) 

ミモザ

あらら、弁天池はこちらにあったのですか。
各地にありそうな名前ではありましたけどね(^.^)
亀の手水鉢もいいですね。目が釘付けになりました(笑)
by ミモザ (2009-07-18 10:28) 

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