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京都伏見散歩① 長建寺と三十石船 [神社仏閣]

久し振りに京都に行きたくなり、家内と二人で出掛ける。お天気はあまりよくなさそうだ。京都の酒どころ伏見に行くことにした。

京阪電車の「中書島」駅で降り、歩く。まず、中国風の竜宮門に出くわす。「長建寺」とある。初めて聞く名前だが、由緒ありそうなお寺なので、入ってみる。


長建寺山門.jpg
山門長建寺は、真言宗醍醐派で、一般に「島の弁天さん」と親しまれている。1699年(元禄12)伏見奉行建部内匠頭政宇が中書島開発の際、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離して創建した。脇仏は珍しい裸形弁財天。7月に弁天祭がある(第4日曜日)。京都で御本尊が弁財天という寺はここしかない。

長建寺が建つこの地は、安土・桃山時代の天正11年(1583)に起きた北近江の「賤ヶ岳の合戦」において羽柴(豊臣)秀吉方の臣として活躍した脇坂安治の下屋敷があったところである。脇坂は、脇坂中務小輔 安治と長たらしく、「中務」は中国風には「中書」とするところから脇坂公を敬称して「中書さん」と呼んでいたので、その敬称を地名にした。脇坂は、播州龍野の城主で、ここ中書島の下屋敷は江戸時代の元禄7年(1694)まで存在した。

衰退した伏見の町の復興を願った地元豪商らは、十三代目伏見奉行建部内匠頭政宇に嘆願。元禄12年(1699)、建部は壕川を開拓するとき、深草大亀谷にあった即成就院の塔頭多門院を分離して、建部姓の一字と長寿を願いと名づけたのが寺の起こりである。


閼伽水.jpg
閼伽水
伏見の名水に挙げられている。

灯籠.jpg
建部政宇が就任した元禄12年に奉納した弁天型灯籠。同じ灯籠が藤森神社と御香宮にも奉納されている。

鐘.jpg
町に時を知らせたという梵鐘

絵馬.jpg

長建寺本堂.jpg
弁財天を祀る本堂


近くに三十石船の乗り場があったが、この日はお休みであった。

三十石船.jpg



長建寺




(続く)


タグ:京都 お寺
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コメント 3

イチロー

数年前にフォト散歩で行きました、酒蔵もあって楽しいですよね^^;

by イチロー (2009-10-01 09:49) 

SilverMac

伏見稲荷に行ったことがあります。歴史的な見所が多いところですね。
by SilverMac (2009-10-01 10:26) 

kohtyan

長建寺は、カメラマンが多く、
住職が、怒鳴っていることがありました。
周辺は、撮影スポットが多いですね。
by kohtyan (2009-10-01 10:34) 

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