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功名が辻(1)~(4) [司馬遼太郎]

功名が辻〈1〉

功名が辻〈1〉

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/02
  • メディア: 文庫


読みかけのまま、しばらく本棚に眠っていたが、大河ドラマの開始とともに、興味がよみがえり、一気に最後まで読んだ。
凡庸な山内一豊が、一国一城の主となる立身出世の物語、サクセス・ストーリーだ。
「山内一豊の妻」として有名な、才色兼備で理想の妻、千代が主人公だ。
司馬史観では、山内一豊は、律儀だけが取り柄の男で、賢妻千代に支えられ、運にも恵まれ、一国一城の主となるというのだが、私は必ずしもそうではなかったと思っている。確かに、彼自身はそれほど武辺にも行政にも才能はなかったのかもしれないが、「将の将たる器」というのがあって、人を使うのがうまかったのだろうし、人の意見を聞くという点ですぐれていたのだろうと思う。また、政治感覚にもすぐれていたのだと思う。妻女千代は、賢妻かもしれないが、妻のバックアップだけでは、一国一城の主にはなれなかったと思う。彼自身も、目立たないながらも、政治感覚を身に付けていたと思いたい。「小家康」だったのではないか。
司馬遼太郎は、各所に小さなエピソードを散りばめており、これが何と言っても面白い。
「関が原の戦い」の前の「小山評定」での、城を明け渡しましょうという、まさしくおべっか発言、これが彼を一国一城の主へと上らせるのである。
土佐入府後は、長宗我部の遺臣一領具足の反乱に手を焼く。そして、種崎浜の虐殺で、後世に汚名を残すことになる。
一国一城の主まで上り詰めた一豊だが、他の権力者と同じで、晩年は寂しい。実子もなく、養子に土佐一国を継がせることになる。千代も一豊逝去後は京都に移り、余生を過ごす。立身出世は必ずしも、その人に幸福をもたらすとは限らない。分相応の地位が一番なのかもしれない。





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