SSブログ

うだつの町並み脇町・続き [その他観光・レジャー]

よく「うだつが上がらない」という表現がある。「なかなか出世ができない」とか「いつまでも下積みから はい上がれない」というような あまりパッとしない意味で使われる。元来「うだつ」とは「卯建」と書き、屋根の下に突き出した形で設けられる防火壁を言った。江戸時代、うだつは相当な建築費を要したので、これを造れないことを「うだつが上がらない」と言った。

「うだつ」は京都文化圏の町家の特徴で, 今も 京都・大阪を中心に広い範囲でみることができる。一方, 関東から北の地域の古い町家に「うだつ」をみることは少ない。
実は、江戸時代初期の江戸の町では, 「うだつ」が上がった京風の町家が一般的であった。京都をモデルに 江戸の町は造られた。しかし, 明暦3年(1657)の振袖火事を契機に 江戸独自の形式を造り上げ, 「うだつ」は消滅した。

うだつの町並みは、岐阜県美濃市も有名だが、徳島県脇町の「うだつの町並み」の知名度が急速に高まったのは脇町劇場が映画「虹(にじ)をつかむ男」(山田洋次監督、96年公開)の舞台となったのが契機だ。閉鎖後、撤去方針だった劇場は再建築計画が持ち上がり、99年に総工費約一億七千万円をかけ「脇町劇場オデオン座」として65年前の創建時の姿で復活した。通りに面して並ぶ商家も、国の補助などで所要の修復・補強が施された。


共同井戸
現在は便われていない。


阿波の青石で作った句碑,記念碑(日本の道百選,手づくり郷土貰)


写真館のうだつ


田村家
この辺りで2番目に古い建物


まんじゅう屋にも、ちゃんとうだつが上がっている。


国見家
宝永4年(西暦1707年)に建てられた。この通りでは一番古い建物である。敷地は表通りから当時の吉野川に達する広いもので、川岸に門があり、石段を通じて、吉野川の船着場に出ることができた。
屋根架構は、登り梁折置組み中引梁で合掌に組み、その上に直接棟木を置いている。指物を用いず、丸太梁に鴨居と敷居を入れ、丸太に近い柱が古風である。


将棋名人
小野五平翁の生家(平田家)、天保2年木屋五平(宿屋)で生まれる。泊まり客のさす将棋を見たのが病みつきとなり、持って生まれた素質と熱心さのため7~8歳の頃、すでに五平を負かす者はなかった。
19歳のとき、江戸に出て、名人(天野宗歩)に弟子入りし、明治23年四国で唯1人第12世将棋名人となった。大正11年91歳で没し、大工町安楽寺に葬られている。

最後にうだつを2つ紹介して、脇町を去ることにする。



うだつ

(完)


nice!(29)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 29

コメント 4

響(きょう)

速読ですので、詳しいコメントまでは思い浮かびませんでしたが、
文化的な味わいの深いブログだと感じます。m(_ _)m
by 響(きょう) (2007-09-21 18:04) 

マイケル

響(きょう)さん
ありがとうございます。
これからも、いろいろ紹介して行きたいと思います。
by マイケル (2007-09-22 09:45) 

雪洞

こんにちは(^^)
「うだつ」は長野の海野宿や金沢で見ました。
脇町もしっかりと守られていますね(^^)
by 雪洞 (2007-09-22 17:32) 

マイケル

雪洞さん
あちこちのうだつを見てみたいものです。
by マイケル (2007-09-23 23:39) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。