第19番 立江寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
名称 橋池山 立江寺
宗派 高野山真言宗
本尊 延命地蔵菩薩
住所 徳島県小松島市立江町字若松13
ご詠歌 いつかさて にしのすまいの わがたちえ くぜいのふねに のりていたらん
仁王門
立江寺は、聖武天皇の勅願寺で、天平年間(729‐48)行基が光明皇后の安産を祈念して、地蔵菩薩の小像を刻み、堂宇に安置したのが始まりである。弘仁6年(815)弘法大師が立ち寄り、等身大の地蔵菩薩を刻み、その胎内に行基の刻んだ小像を納め、立江寺と命名した。その頃は寺も400m程西の山麓にあり、寺運も大いに栄えたが、天正年間長曽我部軍の兵火によって焼失した。その後、蜂須賀2代藩主により現在地に移転、再興された。本堂には伝説の "鐘の緒"が寺宝として納められている。
立江寺は、四国88力所霊場の内に4力所ある「関所寺」の1つである。それは各国に1力寺ずつあって、罪人や邪心を持っている人は、弘法大師のおとがめを受けて先へ進めなくなるといわれる。これらの関所寺で納経をすますと、お遍路さんは一安心したものである。
仁王門と多宝塔
本堂
大師堂
大師像
立派な多宝塔だ。
境内の梅の花。
宗派 高野山真言宗
本尊 延命地蔵菩薩
住所 徳島県小松島市立江町字若松13
ご詠歌 いつかさて にしのすまいの わがたちえ くぜいのふねに のりていたらん
仁王門
立江寺は、聖武天皇の勅願寺で、天平年間(729‐48)行基が光明皇后の安産を祈念して、地蔵菩薩の小像を刻み、堂宇に安置したのが始まりである。弘仁6年(815)弘法大師が立ち寄り、等身大の地蔵菩薩を刻み、その胎内に行基の刻んだ小像を納め、立江寺と命名した。その頃は寺も400m程西の山麓にあり、寺運も大いに栄えたが、天正年間長曽我部軍の兵火によって焼失した。その後、蜂須賀2代藩主により現在地に移転、再興された。本堂には伝説の "鐘の緒"が寺宝として納められている。
立江寺は、四国88力所霊場の内に4力所ある「関所寺」の1つである。それは各国に1力寺ずつあって、罪人や邪心を持っている人は、弘法大師のおとがめを受けて先へ進めなくなるといわれる。これらの関所寺で納経をすますと、お遍路さんは一安心したものである。
仁王門と多宝塔
本堂
大師堂
大師像
立派な多宝塔だ。
境内の梅の花。
近日中に私の知り合いが書いた「遍路旅」を連載予定です。この方は69歳で最初の歩き遍路、をし、2年後に2度目の歩き遍路をされた方です。ブログでも遍路志望の方がいますし、四国の伝統文化紹介もかねて、遍路を志す方の参考になれば、筆者にお願いして連載することにしました。
by SilverMac (2008-03-25 08:27)
SilverMacさん
「遍路旅」楽しみにしたいですね。
by マイケル (2008-03-26 22:30)