光悦寺② 茶室 [紅葉]
本阿弥光悦は、江戸時代初期の書家、芸術家、書道の光悦流の祖である。刀剣の鑑定、研磨、浄拭を家業とする京都の本阿弥家に生まれる。今日では「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家として、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わったマルチアーティストとして有名である。
俵屋宗達、尾形光琳とともに、琳派の創始者として、後世の日本文化に与えた影響は大きい。陶芸では楽焼の茶碗、漆芸では装飾的な図柄の硯箱などが知られるが、とくに漆工品などは、光悦本人がどこまで制作に制作に関与したかは定かでなく、アート・プロデューサーとしての役割が大きかった。
鐘楼と紅葉
本堂の前の受付で300円払い、先の庭園に進む。
本堂
境内には大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の7つの茶室が散在し、庫裏に接して妙秀庵がある。いずれも大正時代以降の建物である。
三巴亭
大正10年(1921年)に建てられた数奇屋建築で、八畳2室、水屋等からなる。北西の八畳は光悦堂と称し、仏壇には光悦の木像を安置する。
大虚庵
「大虚庵」は、光悦が鷹ヶ峰に営んだ居室の名称であるが、現在ある大虚庵は大正4年(1915年)に新たに建てられたもので、道具商・土橋嘉兵衛の寄付、速水宗汲の設計である。ただし、建設後に光悦会によって改造されており、正面入口の貴人口がにじり口に変更されたほか、間取りも当初の三畳台目から四畳+二台目に変わっている。
光悦垣
大虚庵前の竹の垣根は光悦垣またはその姿から臥牛(ねうし)垣と呼ばれ徐々に高さの変る独特のものである。
了寂軒
本阿弥一族の墓
本阿弥庵
本阿弥庵前のつくばい
本阿弥光悦の墓
(続く)
俵屋宗達、尾形光琳とともに、琳派の創始者として、後世の日本文化に与えた影響は大きい。陶芸では楽焼の茶碗、漆芸では装飾的な図柄の硯箱などが知られるが、とくに漆工品などは、光悦本人がどこまで制作に制作に関与したかは定かでなく、アート・プロデューサーとしての役割が大きかった。
鐘楼と紅葉
本堂の前の受付で300円払い、先の庭園に進む。
本堂
境内には大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の7つの茶室が散在し、庫裏に接して妙秀庵がある。いずれも大正時代以降の建物である。
三巴亭
大正10年(1921年)に建てられた数奇屋建築で、八畳2室、水屋等からなる。北西の八畳は光悦堂と称し、仏壇には光悦の木像を安置する。
大虚庵
「大虚庵」は、光悦が鷹ヶ峰に営んだ居室の名称であるが、現在ある大虚庵は大正4年(1915年)に新たに建てられたもので、道具商・土橋嘉兵衛の寄付、速水宗汲の設計である。ただし、建設後に光悦会によって改造されており、正面入口の貴人口がにじり口に変更されたほか、間取りも当初の三畳台目から四畳+二台目に変わっている。
光悦垣
大虚庵前の竹の垣根は光悦垣またはその姿から臥牛(ねうし)垣と呼ばれ徐々に高さの変る独特のものである。
了寂軒
本阿弥一族の墓
本阿弥庵
本阿弥庵前のつくばい
本阿弥光悦の墓
(続く)
天才的な粋人ですね。
by SilverMac (2008-11-28 09:55)
SilverMac さん
時代を象徴している人物の一人です。
by マイケル (2008-11-29 08:00)
本阿弥は今で言うオールマイティーな人だったようですね。
紅葉が実に綺麗です。
by 旅爺さん (2008-11-29 09:43)
旅爺さんさん
ユティリティ・プレイヤーですね。
by マイケル (2008-11-29 23:30)