大阪天満宮の初詣③ 登龍門 [神社仏閣]
大阪天満宮の境内には、由緒ありそうなものがいろいろある。
この前に、「登龍門」という立札が立っていた。何が一体登龍門なのか、わからなかった。以下、立札に書いてあることをそのまま紹介する。
登龍門
当宮は天保八年(1837年)の大塩の乱で本殿及び多くの社殿が焼失し、その後弘化二年(1845年)に再建され、現在に至っております。
その当時から東西唐門両側に鯉に龍の図柄の金燈籠がありましたが、戦前の金属の供出でなくなり、台座を残すのみとなっておりました。
この度菅原道真公千百年大祭記念として、篤志の方の奉納により昔ながらの図柄の燈籠が再建されることとなりました。
屋根の部分は、威勢よく跳ね上がる鯉、胴体には龍が巻き上がり逆巻く水面から天空をめざして舞い上がろうとしている雄姿は一見奇異に見えますが、この唐門こそ登龍門そのものであります。というのも、龍門は中国の黄河上流で鯉などがその下に集まり、多くは登り得ないが、登れば龍となるという故事に基づいています。
それが転じて、そこを通り抜ければ必ず出世するといわれる関門の意となります。
平成壬午歳初春 宮司 寺井種伯識
まさしく、受験生が合格祈願にこの神社を訪れているが、大学受験というのは彼らにとって、登龍門である。
登龍門の隣りに、大きな学帽が飾ってあった。由緒はわからなかったが、この前で記念写真を撮っている人がいる。
うちの子供にも一緒に写真を撮ろうと言ったが、嫌がって撮らしてくれなかった。
まだまだ写真が撮りたかったが、急に雨が降ってきたのと、傘を持っていなかったので、早々に退散することにした。
天満宮の北出口のところに、繁昌亭という上方落語をやる寄席がある。一度は行って見たいと思いながら、まだ行けていない。正月には寄席がよく似合う。
この前に、「登龍門」という立札が立っていた。何が一体登龍門なのか、わからなかった。以下、立札に書いてあることをそのまま紹介する。
登龍門
当宮は天保八年(1837年)の大塩の乱で本殿及び多くの社殿が焼失し、その後弘化二年(1845年)に再建され、現在に至っております。
その当時から東西唐門両側に鯉に龍の図柄の金燈籠がありましたが、戦前の金属の供出でなくなり、台座を残すのみとなっておりました。
この度菅原道真公千百年大祭記念として、篤志の方の奉納により昔ながらの図柄の燈籠が再建されることとなりました。
屋根の部分は、威勢よく跳ね上がる鯉、胴体には龍が巻き上がり逆巻く水面から天空をめざして舞い上がろうとしている雄姿は一見奇異に見えますが、この唐門こそ登龍門そのものであります。というのも、龍門は中国の黄河上流で鯉などがその下に集まり、多くは登り得ないが、登れば龍となるという故事に基づいています。
それが転じて、そこを通り抜ければ必ず出世するといわれる関門の意となります。
平成壬午歳初春 宮司 寺井種伯識
まさしく、受験生が合格祈願にこの神社を訪れているが、大学受験というのは彼らにとって、登龍門である。
登龍門の隣りに、大きな学帽が飾ってあった。由緒はわからなかったが、この前で記念写真を撮っている人がいる。
うちの子供にも一緒に写真を撮ろうと言ったが、嫌がって撮らしてくれなかった。
まだまだ写真が撮りたかったが、急に雨が降ってきたのと、傘を持っていなかったので、早々に退散することにした。
天満宮の北出口のところに、繁昌亭という上方落語をやる寄席がある。一度は行って見たいと思いながら、まだ行けていない。正月には寄席がよく似合う。
タグ:神社
大阪には仕事で出張するくらいであまり縁がありません。
時間があれば、ぜひ大阪天満宮おまいりしたいですね(^^
by kotarobs (2009-01-04 08:36)
受験の季節ですね^^
by Baldhead1010 (2009-01-04 08:43)
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
by ドン亀 (2009-01-04 09:37)
kotarobs さん
お参りするところは沢山ありますよ。
by マイケル (2009-01-04 23:27)
Baldhead1010 さん
今年は他人事ではないです。
by マイケル (2009-01-04 23:27)
ドン亀 さん
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
by マイケル (2009-01-04 23:28)