徳島県文学書道館 [日記・雑感]
地方に行くと、建物から立派な美術館や博物館が沢山ある。展示物も貴重なもので、一見の価値は十分あるのだが、入場者が少なく、土日祝日でも閑古鳥が鳴いているところが多い。もっとPRしてほしい。
ミュージアム88カードラリーin四国という企画があり、私もそれに乗って、四国のあまり目立たないミュージアムを廻っている。このブログでも、少しずつ紹介して行きたい。
徳島市内、それも中心地に近い所に、徳島県文学書道館というのがある。ここを訪れたのは、半年以上も前だが、遅ればせながら紹介する。
徳島県文学書道館というのは、徳島ゆかりの文学者、書道家の作品を展示してある。建物も立派だ。
建物
ちょうど源氏物語千年紀を記念して、寂聴源氏物語展というのをやっていた。
実は斯くいう小生は、瀬戸内寂聴の「源氏物語」を第1巻から第10巻まで揃えたのであるが、残念ながらいまだ第2巻の途中までしか読んでいないのだ。
期間中瀬戸内寂聴の講演会も予定されているようだ。
入場者は2~3人しかいない中で、しばらく展示品を見ていると、見たことのある人が入ってきた。何と瀬戸内寂聴本人ではないか。係りの人と話をしている。声をかけたかったが、そんな勇気もなく、遠くから眺めていた。
徳島出身なので、頻繁に訪れるのかなとか、講演会の打ち合わせかなとか、想像力を膨らませていたが、後で瀬戸内寂聴がここにいること自体何も不思議でないことがわかった。瀬戸内寂聴は、徳島県文学書道館の館長なのである。
徳島県文学書道館の中には、瀬戸内寂聴記念室というのがある。瀬戸内寂聴の人生と作品を紹介している。
瀬戸内寂聴は、旧名は瀬戸内晴美といい、小説家であり、天台宗の尼僧(権僧正)である。
徳島県徳島市東大工町の仏壇店を営む三谷家の次女として生まれ、後に父が従祖母の家である瀬戸内家養子となり、瀬戸内に改姓した。
東京女子大学在学中に結婚し、夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と長女を残し家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説が「ピグマリオンの恋」である。
1950年に正式に離婚し、東京へ行き本格的に小説家を目指し、三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。少女世界社、ひまわり社、小学館、講談社で少女小説や童話を書く。
1956年、処女作「痛い靴」を『文学者』に発表、1957年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。その受賞第1作『花芯』で、ポルノ小説であるとの批判にさらされ、「子宮作家」とまで呼ばれた。その後数年間は文芸雑誌からの執筆依頼がなくなり、『講談倶楽部』『婦人公論』その他の大衆雑誌、週刊誌等で作品を発表した。1959年から同人誌『無名誌』に『田村俊子』の連載を開始。並行して『東京新聞』に初の長編小説『女の海』を連載。この時期の不倫の恋愛体験を描いた『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立する。以後数多くの恋愛小説、伝記小説を書き人気作家となるが、30年間、純文学の賞も大衆文学の賞ももらえないという不遇のうちにあった。1992年、西行を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎賞を受賞した。『源氏物語』の現代語訳でも有名。
1973年に今春聴(今東光)大僧正の導きにより中尊寺にて天台宗で得度、法名を寂聴とする。翌年、比叡山で60日間の行を経て、京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵に居す。尼僧としての活動も熱心で、週末には青空説法として、法話を行っていた。1988年に出した『寂庵 般若心経』は1年で43万部を売るベストセラーとなる。ただしその法話や仏教関連の多くの著作の内容に関しては仏教全体、または当人が所属する天台宗の教学からもかなり逸脱した部分が多いとして仏教学者、また宗派を問わず同じ僧侶たちからも批判を受けることがある。
記念室の中に、寂庵の書斎を再現したコーナーがある。
書斎
瀬戸内寂聴の先に紹介した読みかけの源氏物語があるだけで、全く読んでなかった。
ここを訪れた後、「奇縁まんだら」という本を買って読んだ。
ミュージアム88カードラリーin四国という企画があり、私もそれに乗って、四国のあまり目立たないミュージアムを廻っている。このブログでも、少しずつ紹介して行きたい。
徳島市内、それも中心地に近い所に、徳島県文学書道館というのがある。ここを訪れたのは、半年以上も前だが、遅ればせながら紹介する。
徳島県文学書道館というのは、徳島ゆかりの文学者、書道家の作品を展示してある。建物も立派だ。
建物
ちょうど源氏物語千年紀を記念して、寂聴源氏物語展というのをやっていた。
実は斯くいう小生は、瀬戸内寂聴の「源氏物語」を第1巻から第10巻まで揃えたのであるが、残念ながらいまだ第2巻の途中までしか読んでいないのだ。
期間中瀬戸内寂聴の講演会も予定されているようだ。
入場者は2~3人しかいない中で、しばらく展示品を見ていると、見たことのある人が入ってきた。何と瀬戸内寂聴本人ではないか。係りの人と話をしている。声をかけたかったが、そんな勇気もなく、遠くから眺めていた。
徳島出身なので、頻繁に訪れるのかなとか、講演会の打ち合わせかなとか、想像力を膨らませていたが、後で瀬戸内寂聴がここにいること自体何も不思議でないことがわかった。瀬戸内寂聴は、徳島県文学書道館の館長なのである。
徳島県文学書道館の中には、瀬戸内寂聴記念室というのがある。瀬戸内寂聴の人生と作品を紹介している。
瀬戸内寂聴は、旧名は瀬戸内晴美といい、小説家であり、天台宗の尼僧(権僧正)である。
徳島県徳島市東大工町の仏壇店を営む三谷家の次女として生まれ、後に父が従祖母の家である瀬戸内家養子となり、瀬戸内に改姓した。
東京女子大学在学中に結婚し、夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と長女を残し家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説が「ピグマリオンの恋」である。
1950年に正式に離婚し、東京へ行き本格的に小説家を目指し、三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。少女世界社、ひまわり社、小学館、講談社で少女小説や童話を書く。
1956年、処女作「痛い靴」を『文学者』に発表、1957年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。その受賞第1作『花芯』で、ポルノ小説であるとの批判にさらされ、「子宮作家」とまで呼ばれた。その後数年間は文芸雑誌からの執筆依頼がなくなり、『講談倶楽部』『婦人公論』その他の大衆雑誌、週刊誌等で作品を発表した。1959年から同人誌『無名誌』に『田村俊子』の連載を開始。並行して『東京新聞』に初の長編小説『女の海』を連載。この時期の不倫の恋愛体験を描いた『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立する。以後数多くの恋愛小説、伝記小説を書き人気作家となるが、30年間、純文学の賞も大衆文学の賞ももらえないという不遇のうちにあった。1992年、西行を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎賞を受賞した。『源氏物語』の現代語訳でも有名。
1973年に今春聴(今東光)大僧正の導きにより中尊寺にて天台宗で得度、法名を寂聴とする。翌年、比叡山で60日間の行を経て、京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵に居す。尼僧としての活動も熱心で、週末には青空説法として、法話を行っていた。1988年に出した『寂庵 般若心経』は1年で43万部を売るベストセラーとなる。ただしその法話や仏教関連の多くの著作の内容に関しては仏教全体、または当人が所属する天台宗の教学からもかなり逸脱した部分が多いとして仏教学者、また宗派を問わず同じ僧侶たちからも批判を受けることがある。
記念室の中に、寂庵の書斎を再現したコーナーがある。
書斎
瀬戸内寂聴の先に紹介した読みかけの源氏物語があるだけで、全く読んでなかった。
ここを訪れた後、「奇縁まんだら」という本を買って読んだ。
こんにちは、=(^。^)=
”瀬戸内寂聴”の記事、たいへん興味をもって、
読まさせていただきました!、
やはり、ご興味のある対象の記事は、
よろこびが伝わってくるから、
読んで面白いです、(^o^)
by xml_xsl (2009-01-18 22:44)
隣県ですが、余りよく知りません。参考になります。
by SilverMac (2009-01-18 22:45)
瀬戸内寂聴さんは、瀬戸内晴美さんの頃の作品を
よく読みました。
寂聴さんのも読まなくちゃ。(*^-^)
by Yuki (2009-01-18 23:33)
お恥ずかしながら、瀬戸内寂聴さんのお名前くらいしか知りません。
記事を読んで、興味がわいてきました。
by ノリパ (2009-01-19 19:01)
とても興味深く読ませていただきました^^
by ミヤ (2009-01-21 11:29)
xml_xsl さん
瀬戸内寂聴さんの本はほとんど読んでいませんが、調べてみて、その奔放な性格とそこから来る波瀾万丈の人生に興味を持ちました。
by マイケル (2009-01-22 07:05)
SilverMacさん
地元の人もあまり知らないと思います。
by マイケル (2009-01-22 07:06)
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by louis vuitton boots (2010-06-27 19:07)