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四国村④ 茶堂と燈台大息所 [その他観光・レジャー]

四国ギャラリーから出て、順路に沿って進むと、まず茶堂がある。

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茶堂2.jpg
茶堂「遊庵」
四国の古い街道沿いには、こうしたお堂があちこち建っていた。初めは村の入り口に悪霊払いの意味で建てられ、後に街道を行く人の接待の場として、また四国遍路の休み場として利用されるようになる。このお堂は土佐から伊予へ越す龍王街道と呼ばれる道にあった。五寸角の栗材の柱の状態や落書きなどから、18世紀後半のものと推測される。石仏(地蔵菩薩)は流政之氏の作品で、瀬戸内寂聴尼によって開眼され、お堂は「遊庵」と命名された。

ツバキ.jpg
椿の花である。茶堂の近くに僅かに一輪咲いていた。

茶堂を過ぎて、竹藪の中の道を進む。

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タケヤブヤケタ   回文という

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これは何というものか、全く案内もない。

そして、四国村で一番高い地点に達する。まず、毒ガスで有名な、大久野島燈台が見える。

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旧大久野島燈台
大久野島燈台は三原瀬戸航路の要所を照らす燈台として明治27年5月に点灯された。
燈台は基礎が3.8mの円形で高さ5.1m直径3.1m。灯塔部は花崗岩の切石積になっており、その上に乗る塔器は鋳鉄製で高さ2.4メートルにもなる。

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冬晴れの気持ちのいい日だ。

四国村には3棟の退息所(燈台守の住宅)が移築されている。

旧江埼灯台退息所.jpg
退息所内部.jpg
旧江埼燈台退息所
江埼燈台は瀬戸内の難所といわれる明石海峡を望む、淡路島の北端にある。英国の技師 R・H・ブラントンの設計により、明治4年(1871)に点燈した、わが国8番目の洋式燈台である。
退息所は石造で、壁体は奥行60cm程の切石を積み、木造トラスで桟瓦葺の屋根を支えた重厚な建物。平成7年(1995)1月の阪神・淡路大震災により、石造の壁に大きな亀裂が入り、屋根瓦が落下するなど壊滅的な被害を蒙った。四国村はこの建物を移築し、復原保存する措置をとった。
この退息所は本格的な石造建築であり、建築当初の木造トラスを残すなど、洋式燈台の黎明期の貴重な建物である。

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旧鍋島.jpg
旧鍋島燈台退息所
鍋島灯台は坂出市の沖合い、鍋島にある。江埼燈台と同じく英国の技師R・H・ブラントンが設計した洋式燈台で、初点灯は明治5年(1872)。
職員宿舎の退息所は翌6年2月に竣工し、昭和30年(1955)頃まで本来の宿舎として使用されたが、その後は海上保安本部の通信施設となっていた。
建物は石造で、正面に円柱6本を建てて吹きはなしとし、壁は奥行60cm程の切り石を積み、桟瓦葺の屋根の重厚な建物である。
間取りは中廊下式で、暖炉のある部屋、畳敷きの部屋などがある。また、外側に浴室や便所などが張り出しており、付属の物置も同様の石造となっている。
この退息所は、本格的な石造建築で、正面に円柱列を建てるなど、洋式燈台の黎明期の貴重な建物となっている。

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旧クダコ島燈台退息所
クダコ島燈台は愛媛県松山市の沖、クダコ水道にある。明治35年(1902)7月に着工、翌年3月に竣工、初点燈した。燈台の無人化にともなって、この退息所は不要になったため、当四国村に移築復原された。
この建物はレンガ造で、外壁がモルタル仕上げ、屋根は桟瓦葺です。
内部は左右二つに分け、二家族用にし、押入付き和風の部屋が配してあり、かまどもある。また、付属する物置も退息所と同じ構造である。
この退息所は明治後期の建築で、部屋も和風の要素が強くなっている。洋式燈台初期のものとは幾つかの点で異なり、わが国の燈台建築の変遷を知るうえで貴重な資料となっている。

(続く)


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コメント 2

SilverMac

四国村、色々ありますね。
by SilverMac (2009-03-26 23:17) 

マイケル

SilverMac さん
見どころ一杯です。
by マイケル (2009-03-28 22:05) 

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