第47番 八坂寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
名称 熊野山 八坂寺
宗派 真言宗醍醐派
本尊 阿弥陀如来
住所 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773
ご詠歌 はなをみて うたよむひとは やさかでら
さんぶつじょうの えんとこそきけ
第46番から第51番までは、比較的近くにある。第51番の石手寺はすでにお参りしている。今回、第50番まで踏破すれば、後高知県の西部と南予、最後に第88番を残すのみとなる。
八坂寺は、比較的町中にあるお寺である。こじんまりとしたお寺だ。
山門
このお寺は役の行者・小角の開基で、大宝元年(701)小千伊予守正興が文武天皇の勅願によって創建したと伝えられている。お寺を建てるに当って8カ所の道を切り開いて道路を造ったので、八坂寺と名付けられた。本尊の阿弥陀如来は比叡山の僧侶、恵信僧都が刻まれたという。
弘仁6年(815)弘法大師がこの地に止まり、堂宇を整えた。その後、修験道の根本道場として大いに栄え、紀州熊野権現および十二社権現をまつったので熊野山と名づけられ、末寺も48力寺を数え、寺領に荏原郷を有する程隆盛をきわめた。
しかし、天正の兵火やたび重なる火災によって、規模は次第に縮小され、現在では境内に本堂、大師堂、十二社権現堂、鐘楼、本坊のみとなり、末寺も番外札所の文珠院・徳成寺を残すだけとなった。
現在の本堂、大師堂は明治年間 (1869‐1912)に再建されたものである。本尊及び脇立の毘沙門天は鎌倉時代の作で、国の重要文化財に指定されている。
本堂
大師堂
幟と紫陽花
石仏
お地蔵
(続く)
宗派 真言宗醍醐派
本尊 阿弥陀如来
住所 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773
ご詠歌 はなをみて うたよむひとは やさかでら
さんぶつじょうの えんとこそきけ
第46番から第51番までは、比較的近くにある。第51番の石手寺はすでにお参りしている。今回、第50番まで踏破すれば、後高知県の西部と南予、最後に第88番を残すのみとなる。
八坂寺は、比較的町中にあるお寺である。こじんまりとしたお寺だ。
山門
このお寺は役の行者・小角の開基で、大宝元年(701)小千伊予守正興が文武天皇の勅願によって創建したと伝えられている。お寺を建てるに当って8カ所の道を切り開いて道路を造ったので、八坂寺と名付けられた。本尊の阿弥陀如来は比叡山の僧侶、恵信僧都が刻まれたという。
弘仁6年(815)弘法大師がこの地に止まり、堂宇を整えた。その後、修験道の根本道場として大いに栄え、紀州熊野権現および十二社権現をまつったので熊野山と名づけられ、末寺も48力寺を数え、寺領に荏原郷を有する程隆盛をきわめた。
しかし、天正の兵火やたび重なる火災によって、規模は次第に縮小され、現在では境内に本堂、大師堂、十二社権現堂、鐘楼、本坊のみとなり、末寺も番外札所の文珠院・徳成寺を残すだけとなった。
現在の本堂、大師堂は明治年間 (1869‐1912)に再建されたものである。本尊及び脇立の毘沙門天は鎌倉時代の作で、国の重要文化財に指定されている。
本堂
大師堂
幟と紫陽花
石仏
お地蔵
(続く)
もう少しで満願成就ですね。ガンバって下さい。
by SilverMac (2009-07-25 21:31)
SilverMac さん
この夏が勝負です。
by マイケル (2009-07-26 09:03)