第49番 浄土寺 [四国八十八ヶ所めぐり]
名称 西林山 浄土寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来
住所 愛媛県松山市鷹子町1198
ご詠歌 じうあくの わがみをすてず そのままに
じゃうどのてらへ まいりこそすれ
仁王門
仁王像
天平年間(729-48)恵明上人に よって開基され、本尊の釈迦如来は行基の作と伝えられる。後に孝鎌天皇の勅願所となり、 寺運も大いに栄えて寺域は八丁四方及び65坊の末寺を持つ大寺になった。その後、弘法大師が堂塔を整えた。
応永4年(1397)の兵火で焼失してからは寺運も衰え、荒廃にまかせていたが、文明13年(1481)、領主河野通宜公によって再建され、現在に至っている。
醍醐天皇の皇子といわれる空也上人は市の聖といって親しまれているが、諸国遍歴の途中この地に止まられた。上人が去るに当って、里人の懇願に答えて作った自像は国の重要文化財に指定されている。
この本堂は単層寄せ棟創りで、堂内の厨子とともに国の重要文化財に指定されている。
大師堂
(続く)
宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来
住所 愛媛県松山市鷹子町1198
ご詠歌 じうあくの わがみをすてず そのままに
じゃうどのてらへ まいりこそすれ
仁王門
仁王像
天平年間(729-48)恵明上人に よって開基され、本尊の釈迦如来は行基の作と伝えられる。後に孝鎌天皇の勅願所となり、 寺運も大いに栄えて寺域は八丁四方及び65坊の末寺を持つ大寺になった。その後、弘法大師が堂塔を整えた。
応永4年(1397)の兵火で焼失してからは寺運も衰え、荒廃にまかせていたが、文明13年(1481)、領主河野通宜公によって再建され、現在に至っている。
醍醐天皇の皇子といわれる空也上人は市の聖といって親しまれているが、諸国遍歴の途中この地に止まられた。上人が去るに当って、里人の懇願に答えて作った自像は国の重要文化財に指定されている。
この本堂は単層寄せ棟創りで、堂内の厨子とともに国の重要文化財に指定されている。
大師堂
(続く)
タグ:お寺 四国八十八ヵ所めぐり
いいですね~行ってみたいです。
by ばん (2009-07-30 00:10)