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高野山③ 壇上伽藍 [四国八十八ヶ所めぐり]

奥の院を後にして、壇上伽藍に向かう。この頃から、道路が混雑し始める。

壇上伽藍は、高野山の中心地であり、曼荼羅の思想に基づいて根本大塔、金堂等が配置されている。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍にある。

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大会堂

鳥羽上皇の皇女五辻斉院頌子内親王が父の追福のため建立したもの。寛永15年(1638)再建。


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愛染堂

建武元年(1334)後醍醐天皇の命により建立されたもの。本尊の愛染明王は天皇の等身大である。現建物は1848年再建された。


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不動堂

国宝。1198年建立された。平安朝住宅様式を持つお堂である。本尊は、運慶作不動明王と八大童子。


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金堂

高野開山の最も早い時期に建立された(9世紀)が、落雷などで6度焼失し、現在の建物は7度目として1934年に再建されたもの。はじめは講堂と呼ばれていたが、現在は金堂と呼ばれる。
本尊は高村光雲作の薬師如来でかなり大きいものらしいが秘仏であるので、公開されたことが無い。
内部の壁画は木村武山(ぶざん)作、祭壇裏側の菩薩の絵は移動しても視線が追ってくるように見える。
本尊の東西の曼荼羅は平清盛が自分の頭の血を採って中尊を描いた「血曼荼羅」の模写(本物は霊宝館)である。


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根本大塔

真言宗の根本的教義である大日如来の象徴である。弘法大師の指導により建設が開始され、大師の死後887年に完成した。5度焼失し、現在の建物は1937年の再建である。 高さ 約50m 四方約 30m
本尊の大日如来は江戸時代のもので、それを囲む4如来と16本の柱に描かれた菩薩たちは曼荼羅を立体的に表す。

200円払って、大塔の内部に入る。


大塔の鐘.jpg
大塔の鐘 (高野四郎)

弘法大師が鋳造を発願し、真然大徳時代に完成し。火災により3度焼失、現在の鐘は天文六年(1547)完成したもの。

(続く)


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