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詩仙堂③ 石川丈山 [紅葉]

石川丈山は、江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。また、煎茶の祖とも言われる。

三河国泉郷の代々徳川家に仕える譜代武士の家に生まれた。1598年(慶長3年)徳川家康の近侍となり、その忠勤ぶりに信頼を寄せられた。大坂夏の陣に参加した際は一番乗りで敵将を討ち取って功をあげるが、この時の軍律では先陣争いを禁止していたため、蟄居の身となった。そこで武士をやめて妙心寺に入った。

1617年(元和3年)頃、知人・林羅山の勧めによって藤原惺窩に師事し、儒学を学んだ。各所から仕官の誘いが多かったものの、仕官するつもりはなかったが、病気がちな母を養うために紀州の浅野家に数ヶ月、安芸の浅野家に13年ほど仕えた。母が亡くなると、翌年強引に退去し京の相国寺の近くに睡竹堂をつくり隠棲し始めた。

4年後、洛北の一乗寺村に凹凸窠(詩仙堂)を1641年(寛永18年)に建てて終の棲家と定めた。この時、洛東の隠者木下長嘯子の歌仙堂に倣って、中国歴代の詩人を36人選んで三十六詩仙とし、狩野探幽に肖像を描かせて堂内2階の四方の小壁に9面ずつ掲げた。そのため凹凸窠は詩仙堂の名で知られるようになった。煎茶に親しんだと伝えられると共に、作庭に長じたとも言われ東本願寺只穀邸の庭園は石川丈山の手になるものと伝えられている。 清貧を旨として学問に没頭し30数年を過ごし、90歳で死去した。


庭には、見上げるような大きなカエデの木があり、皆写真を撮っていた。

大カエデ.JPG
大カエデ

下の庭には、真ん中に池があり、様々な植物が植えてある。

池と紅葉.JPG

落ち葉.JPG

薄.JPG

この時期、見頃からは少し遅いのか。個々の葉っぱを見ると、枯れた葉が多い。苔の上に落ちた赤や黄色の葉が、苔の緑とちょうどいいコントラストになっている。

紅葉の絨毯.JPG

苔と紅葉.JPG

おばさん.JPG

ちょうどおばさんが庭箒で落ち葉を掻き集めていた。こういうスタイルも懐かしく感じられて写真に収めた。

残月軒.JPG
残月軒

黄色い苔.JPG

帰り道石垣の苔が何ともいえない味を出していた。

(続く)


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