上賀茂神社 国宝と重要文化財 [神社仏閣]
上賀茂神社は、世界遺産とあって、多くの国宝と重要文化財からなっている。
二ノ鳥居まで来ると、由緒ありそうな古式豊かな建物が建っている。
二ノ鳥居
御所舎
神馬舎
ここに神馬がつながれていたのだろうか。
「山城国風土記」によれば、玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられる。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社として崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
手水舎
この手水舎の水は、名水「神山湧水」というらしい。案内板に以下の通り、記載されていた。
この手水舎の水は、ご祭神「賀茂別雷大神」がご降臨された神山のくぐり水を汲み上げて使用しています。
歴史上特に由緒深い境内の井戸水と同じ水脈の名水であり、飲料用水質基準にも適合しています。
細殿
細殿は、1628年建立の重要文化財である。
細殿の前に砂を持った立砂と呼ばれるものがある。
立砂
盛砂ともいい「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある円錐形の美しい形の神山に因んだもの一種の神籠(神様が降りられる憑代)である鬼門、裏鬼門にお砂を撒き清めるのはこの立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりである。
(続く)
二ノ鳥居まで来ると、由緒ありそうな古式豊かな建物が建っている。
二ノ鳥居
御所舎
神馬舎
ここに神馬がつながれていたのだろうか。
「山城国風土記」によれば、玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられる。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社として崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
手水舎
この手水舎の水は、名水「神山湧水」というらしい。案内板に以下の通り、記載されていた。
この手水舎の水は、ご祭神「賀茂別雷大神」がご降臨された神山のくぐり水を汲み上げて使用しています。
歴史上特に由緒深い境内の井戸水と同じ水脈の名水であり、飲料用水質基準にも適合しています。
細殿
細殿は、1628年建立の重要文化財である。
細殿の前に砂を持った立砂と呼ばれるものがある。
立砂
盛砂ともいい「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある円錐形の美しい形の神山に因んだもの一種の神籠(神様が降りられる憑代)である鬼門、裏鬼門にお砂を撒き清めるのはこの立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりである。
(続く)
立砂。勉強になりました。
by 春分 (2010-07-19 07:30)