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しまなみ海道 ミュージアム巡り⑨ 大山祇神社宝物館と海事博物館 [神社仏閣]

大山祇神社宝物館には数々の国宝・重要文化財が展示してある。鎧・兜が中心である。鎧・兜ファンというのがいれば、欠かせないミュージアムである。

国宝だけでも、ざっと、一覧で以下の通り、紹介する。

・紺糸威鎧 兜、大袖付 1領 伝河野通信奉納 平安末期
・赤糸威鎧 大袖付 1領 伝源義経奉納
・紫綾威鎧 大袖付 1領 伝源頼朝奉納
・禽獣葡萄鏡 1面 唐時代、白銅円鏡
・大太刀 銘 貞治五年丙午千手院長吉 1口 伝後村上天皇奉納 刃長136cm。反り4.8cm。
・沢瀉威鎧兜、大袖付 1領 伝越智押領使好方奉納 平安初期、日本最古の鎧
・牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵 1口 伝護良親王奉納 鎌倉時代
・大太刀 無銘 伝豊後友行 附野太刀拵 1口 伝大森彦七(楠木正成の首をはねた武将)奉納 刃長180cm。反り5.4cm。

義経の鎧が有名である。

写真で紹介出来ないのが、残念である。


宝物館に隣接して、海事博物館というのがある。

海事博物館.jpg
海事博物館

昭和天皇の採集船「葉山丸」を中心に海に関するあらゆるものが展示してある。

博物館の玄関前に大きなスクリューが展示してある。

スクリュー.jpg
スクリュー

また、前庭の桜も見頃だった。

大三島の桜.jpg
桜の花

帰り、駐車場に戻る途中に鶴姫の像があった。

鶴姫.jpg
鶴姫像.jpg
鶴姫像

鶴姫は、大祝鶴姫(おおほうりつるひめ)といい、大山祇神社の大宮司・大祝安用(おおほうりやすもち)の娘であった。兄に大祝安舎と大祝安房がいる。

大祝氏は、伊予河野氏の一門である。戦国時代となり、周防大内氏が中国地方や九州地方で勢力を拡大し、河野氏の勢力下である瀬戸内海でもその勢力は拡大の一途を辿っていた。大祝氏は代々神職として戦場に立つことはなかったが、戦が起きた場合は一族の者を陣代として派遣していた。1534年(天文3年)に大内氏が侵攻してきた際には、兄の安舎が陣代として出陣し、大内軍を撃退した。

1541年(天文10年)にも大内氏配下の水軍の将・白井房胤らが侵攻すると、神職となった兄・安舎に代わって安房が陣代となった。安房は河野氏や来島氏と連合して迎撃した。大内軍を撤退させることはできたものの、安房は討死を遂げた。同年10月にも大内氏が侵攻すると、安房に代わって16歳の鶴姫が陣代として出陣し、大内氏の武将・小原隆言を討ち取った。

1543年(天文12年)6月、2度の敗北に業を煮やした大内義隆は、陶隆房の水軍を河野氏の勢力域に派遣、瀬戸内海の覇権の確立を目論んだ。河野氏とその一門は全力で迎え撃つが、鶴姫の右腕で恋人とも言われる越智安成も討死する。鶴姫は残存の兵力を集結させて最後の反撃を行い不意を突かれた大内軍は壊走し、鶴姫らは勝利を収めた。

しかし鶴姫はこの戦の後に兄や恋人を想い、18歳で自殺した(鶴姫伝説)。

辞世の句は「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」。

鶴姫伝説は、漫画やドラマにもなっているようだ。

近くに鶴姫公園というのもあったらしい。

(続く)


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