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萩城跡① 天守閣跡 [城]

松陰神社を後にして、萩城跡に向かうが、とめた駐車場が遠く過ぎて、随分歩かなければならなかった。

南門跡に、毛利輝元の像があった。

毛利輝元像.jpg

萩城跡には、20年程前に訪れたことがあるが、当時のイメージと随分違っていた。何か荒れ果てたという印象だ。

萩城跡.jpg

入口で入場料を払い、100名城のスタンプを押す。入場券売場のおじさんが、スタンプ帳を見て、「ほお、沢山回りましたね」と声をかけてくる。

萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていた。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されている。

堀.jpg

この堀沿いに、天守閣があった。

石垣の上から.jpg

堀の石垣に立って、眺める。

三の丸.jpg

園内を進む。左右の樹木は桜である。シーズンにはさぞ美しいことだろう。


この地は、戦国時代、指月山に津和野城主・吉見氏が出城を構え、のちに吉見正頼の隠棲所となった。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元は敗戦により120万5000石の太守であったが隠居を命じられ、家督を継いだ秀就は防長2国36万9411石余に減封された。
1603年(慶長8年)幼少の秀就に代わり、輝元は後見役として萩・山口・三田尻(防府市)の3ヵ所を城地の候補とし、幕府に裁可を求めたのに対し幕府は、海に臨み要害の地である萩が良いとの回答。これは外様大名の雄、毛利氏を山陰の僻遠地に押し込める政策とも言われている。

1604年(慶長9年)萩城建造に着手。指月山に連なる干潟を埋め立て、城地を建造した。1608年(慶長13年)落成。平時に建設された城ではあるが、指月山に詰の丸を配するなど、戦時を意識した構えとなっている。

1863年(文久3年)時の藩主・毛利敬親は幕府に無許可で藩庁を山口政事堂(山口市)に移し、萩城は藩庁としての役目を終えた。

(続く)


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