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安芸市立歴史民俗資料館と安芸市立書道美術館 [その他観光・レジャー]

安芸市立歴史民俗資料館と安芸市立書道美術館が隣接して建っている。

安芸城跡.jpg
安芸城跡

すぐ近くに安芸城跡がある。

安芸市の歴史は、壬申の乱(672年)で土佐へ追放になった蘇我赤兄の子孫として伝えられる安芸氏に始まる。安芸氏は、在地豪族として郡司から荘官、地頭となって安芸庄を支配し、繁栄の基礎をつくった。

延慶元年(1308)に安芸城を築城し、戦国期には土佐七雄の一人に数えられ、「安芸五千貫」を領有する大豪族として、安芸郡ばかりでなく、香美郡の東部にまで進出して、 土佐国東部で最大の勢力を誇るようになったが、永禄12年(1569)土佐統一をめざす長宗我部元親に攻められ、激戦の末に敗れた。

安芸 安芸国虎を滅ぼした長宗我部氏は、「安芸」を「安喜」と改め、明治になるまで「安喜」が使われた。

徳川幕府成立後は、山内一豊が、慶長6年(1601)土佐へ入国する。山内氏は、安芸には、山内氏と同じ尾張の出身で、一豊と苦労をともにしてきた五藤氏を置いた。

五藤氏は寛文10年(1670)頃に家老となるが、知行高1100石は土居付家老の中で最も少なく、知行地も分散しており、安芸の村々全体に対する支配権はなかった。 しかし、積極的な新田開発や山林支配、内原野焼などの産業育成をはかり、1700年に奉行職を拝命して以来、幕末まで藩の要職にあって藩政を司った。


安芸市立歴史民俗資料館の壁には、山内一豊と五藤吉兵衛のエピソードが描かれていた。

山内一豊の図.jpg


安芸市立歴史民俗資料館は1985年に開館され、館は山内家の家老五藤家より無償提供された敷地に建っている。五藤家が寄贈寄託した武具、甲冑、古文書など貴重な文化遺産を中心に様々なものが展示されている。

ちょうど、企画展として特設展示「弥太郎とゆかりの人たち」を開催していた。
 
印象に残っているのは、弥太郎の母・美和の書いた手紙で、達筆でそれなりの教養が窺えるしっかりとした字であった。ドラマの印象とは違っている。弥太郎が立派な人物になったのは、この母があったからだと思った。

安芸市立書道美術館は、まさしく安芸市立歴史民俗資料館の隣に建っている。

書道美術館.jpg
安芸市立書道美術館

郷土出身の書家、川谷尚亭や手島右卿をはじめ、著名な書家の作品を常時約100点展示している。毎年開催される全国書展には、全国から約1500点の出品がある。

美術館の前に、毒井戸跡というのがある。

毒井戸.jpg

毒井戸跡.jpg
毒井戸跡

1569(永禄12)年、安芸城は長宗我部軍によって包囲された。籠城24日に及んで安芸軍は抵抗したが、内通する者がこの井戸に毒を投じて長宗我部側に寝返った。そのために多数の死者が出て、士気も衰えたため、城主の安芸国虎は、全将兵と領民の助命を条件に自害した。

(続く)


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