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北陸の旅① 一乗谷朝倉氏遺跡 復元武家屋敷 [城]

9月の16~18日まで北陸旅行に出掛ける。家内のテニスの試合に便乗して、福井、石川、富山と城めぐりをする。

最初の目的地は、日本100名城の1つ、一乗谷朝倉氏遺跡である。

一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡であり、一乗谷城と山麓の城下町からなる。

最近、ソフトバンクのCMで有名になって、訪れる人が増えているという。

まず、駐車場に停め、復原町並を見学する。

一乗谷.jpg

発掘調査によって一乗谷には当時京都のような整然とし た町並みがあったことが確認されている。その中心部にある武家屋敷跡群、その中の一つを遺構と当時の歴史文献を参考に復元した武家屋敷立体復元地である。復元された建物は30坪の主殿を中心に、蔵、納屋、厠、井戸などすべて当時のままに再現され、また当時の町並みも200メートルにわ たって再現されている。

古い町並み.jpg


朝倉氏の祖先は、現在の兵庫県・養父郡一体を本拠地としていた豪族である。元々は日下部と呼ばれていたが、平安時代の末頃から朝倉姓を名乗 るようになった。鎌倉時代の末頃からは南北朝の争乱に参加、室町時代には足利一族の有力武将・足利(斯波)高経のもとで功績をたて、越前黒丸城に居を移し、朝倉広景以後6代135年にわたって坂井郡一円を支配した。

7代目の朝倉孝景は、1467年の応仁の乱で大活躍。守護斯波氏や守護代甲斐氏を追放、越前を押領し、守護職に就くと同時により軍事環境に適した一乗谷に本拠を移した。文明3年(1471年)以後孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代103年にわたって越前を支配。京の文化を積極的にとり入れ北陸の小京都とも呼ぶべき城下町を築きながら、みやびやかな文化の華を咲かせた。

1567年(永禄10年)には5代朝倉義景が足利義秋を安養寺に迎える。義景は義秋を歓待するが、同年7月、義昭は上洛を果たすため織田信長を頼って美濃国に出国する。

1573年(天正元年)8月16日、刀禰坂の戦いに大敗した義景は一乗谷を放棄し大野へ逃れる。翌日、信長の軍勢によって火を放たれ一乗谷は灰燼に帰した。その後、信長から、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたため、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。

土塀.jpg

復原町並には、武家屋敷だけでなく、商家や民家もある。

染物屋.jpg
土蔵.jpg
食器.jpg
調理.jpg
民家.jpg

(続く)
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