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飛騨高山 [その他観光・レジャー]

信州旅行の続きです。久し振りの家族旅行でしたが、子供達は仕事があるので、日曜日午後、松本から電車で都心に向かいました。

夫婦二人で西に峠を越え、飛騨高山を目指しました。

飛騨高山では、すでに4時近くになっており、まずは高山祭屋台会館に寄りました。
高山観光スポットでは、人気から言うと、下位に来るかもしれませんが、お祭り好きの私としては、外せないスポットです。


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高山祭は、4月14~15日の日枝神社例祭(山王祭)と、10月9~10日の櫻山八幡宮例祭(秋の八幡祭)の総称です。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭および日本三大美祭の1つとされています。
「高山祭屋台」23台が重要有形民俗文化財に、「高山祭の屋台行事」が重要無形民俗文化財に指定されています。

屋台会館は、桜山八幡宮の境内にあり、秋の高山祭に曳きだされる11台の屋台を年3回(3月・7月・11月)4台づつ入れ替えています。祭行列を再現展示し、巫女さんがガイドをしてくれました。


夜の食事は、酒造メーカーが経営しているレストランで飛騨牛のステーキを食べました。
その日は郊外のホテルで宿泊しました。

翌朝、8時過ぎにホテルを出発、高山陣屋に向かいます。8時30分前には着いたのですが、オープンは8時45分で会館前でした。外国人観光客も多く、陣屋の門の前で記念写真を撮っていました。
陣屋の前では朝市も開かれており、一通り見て回りました。

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高山陣屋というのは、私は、昔の宿泊所である本陣だと思っていたのですが、江戸時代の代官所だったのです。郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼ぶそうです。

飛騨の国は、山林資源(木材)と地下資源(金・銀・銅・鉛)に恵まれていたことから、元禄五年(1692)に直轄領とし、この地に代官所を置いたのです。 飛騨代官は安永六年(1777)に飛騨郡代に昇格し、他の郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。
幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の主要建物が残っているのはこの高山陣屋だけです。全国で唯一建物が現存する遺跡で、昭和4年(1929)には国史跡に指定されました。

この高山陣屋の建物は広大で、江戸時代の生活の様子なども見られて、大変勉強になった。


高山陣屋を見た後、高山市三町伝統的建造物群保存地区を散策しました。昔ながらの建物に今風のグッズやグルメ。ついついお土産も買いすぎました。

最後に名物の高山ラーメンを食べ、この町を後にしました。


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