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彰義隊 [吉村昭]

彰義隊

彰義隊

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 単行本
 彰義隊とは、幕末の維新戦争の際、上野の山に立てこもって、朝廷軍と闘った旧幕臣からなる義勇軍である。
 
 しかし、この物語の主人公は、上野寛永寺山主である輪王寺宮であり、皇族でもある宮がなぜ旧幕府側の盟主に担がれていったのか、運命に翻弄されながら辿る数奇な半生を描く。
 
 鳥羽伏見の戦いに敗れ、徳川慶喜が大阪から江戸に逃げ帰るところから物語は始まる。徳川慶喜は、東征大総督有栖川宮熾仁親王への取り成しを輪王寺宮に依頼するのである。輪王寺宮は江戸が戦火に苦しむのを憂慮して、慶喜の申し出を引き受ける。宮はわざわざ駿府まで行き、熾仁親王に嘆願するが、けんもほろろに追い返される。
 
 やがて、朝廷軍が江戸に侵入、旧幕臣の有志が彰義隊を結党、上野の山にこもり、戦闘に発展して行く。戦闘は一日で終わり、朝廷軍が圧倒的な戦力で勝利を収める。宮は積極的に彰義隊に加担した分けではないが、東征軍の出頭命令に応じなかったばかりに、朝敵とされ、上野の山を下りて、逃亡の旅が始まる。
 逃亡生活は、ついに東北まで及び、奥州諸国連合の盟主に担がれることになる。
 しかし、奥州諸国連合も一国一国と朝廷軍の軍門に下り、宮も降伏することになる。
 
 自分の意思とは関係なしに、高貴な身分ゆえに周りに利用され、運命に翻弄される様子が、よく描かれている。吉村昭は例によって、細かな資料収集と取材により、宮が逃避行の中で、いろいろな人と関わり、苦悩していく様を坦々と描いている。
 
 明治になり、宮は許されて、海外留学し、後に軍人になるが、最期まで、かつて朝敵であったことを悔やまれていたそうだ。
 
 この本の中で印象に残った人物が二人。
 
 一人は、榎本武揚。朝廷軍と最後まで戦い、五稜郭の戦いで敗れるが、後に新政府に登用される人物。宮の逃避行を助け、その艦船に乗せ、東北まで送り届ける。宮の周囲に外国に逃れようという意見があった時に、次のような異見を唱える。
「宮様がそのようなことをされては、わが国の恥辱です。恐れながら、皇族の御身として御生死は、この国で決すべきと存じます。」これにより、宮は朝廷軍に降伏することを決意する。榎本は男らしく、さわやかな人物に描かれている。
 
 もう一人は、宮の執当である覚王院である。彼は、東征大総督府が江戸に侵入して来た際、再三の出頭命令を独断で拒否、宮が朝敵として追われる原因をつくる。彼は、宮が朝廷軍に降伏した際、罪人籠で東京に押送される。東京で厳しい詮議を受けたが、あくまで自分が独断でやったと主張、自ら食を断って、ついに牢死するのである。凄まじい生き様である。
 
 宮の人生は、今まで歴史の中に埋もれていた部分である。最期台湾に総司令官として、出兵、マラリヤにかかって、戦場で死ぬ。宮にとっては、国のために役立って死ぬことができ、満足して死を迎えたのではないか。まさしく、ハッピーエンドだと思った。
 

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コメント 4

mami

こんばんは~♪
筆達者でいらっしゃいますね!
私、文を書くのは苦手でして・・・(苦笑)
勉強になりました。
お越しいただきまして、ありがとうございます。m(_ _)m
by mami (2005-11-26 20:51) 

マイケル

文章は決してうまい方ではありません。ただ、何事も練習だと思って、意識して書いています。実は一度ブログに乗せても、後で見直して、文章の修正をすることがしばしばあります。
by マイケル (2005-11-26 21:23) 

でっぴるマン

輪王子宮については私もかねがね研究したいと思っていました。
こんな本があると知り大変嬉しい限りです。早速読んでみます。

私も塩野七海さんは大好きです。「ローマ人の物語」をはじめ全著作を読みかつ蔵書として持っています。娘の結婚の際は(まだ10年は先でしょうが)ローマ人の物語は買って持たせたいと思っています。
by でっぴるマン (2006-08-22 17:26) 

マイケル

でっぴるマン さん
娘の結婚の際にローマ人の物語を持たせるというのは、すごい惚れ込みようですね。
by マイケル (2006-10-01 07:53) 

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