吉備路 備中国分寺 [神社仏閣]
帰省の帰り道、吉備路に寄ることにした。一番の目的は、備中国分寺だ。
岡山市西部から総社市にかけて、いわゆる吉備路と呼ばれる地域は、2-3世紀に大和朝廷に匹敵する勢力を誇った古代吉備王国の中心であった。
備中国分寺のシンボル的存在である五重塔は遠くからでも見える。、田んぼの中に五重塔がにょっきと立っている姿は絵になる風景だ。
無料駐車場に車をとめて、田んぼの中の道を歩いて行くと、南門跡があり、そして山門に至る。
=山門=
国分寺は国分尼寺とともに鎮護国家を祈るため、天平十三年(741)に聖武天皇の勅願によって建てられた官寺である。備中国分寺の寺域は東西約160メートル、南北約180メートルで、周囲には築地土塀がめぐらされており寺域内には南門、中門、金堂、講堂、塔などの伽藍が配置されていた。創建当時の礎石が多く残されており、 当時を偲ぶことができる。
備中国分寺は、中世には廃寺となりその後、江戸時代中期に至って日照山国分寺として再興された。現存する伽藍はすべて再興後に建てられたもの。
=本堂=
=大師堂=
=五重塔=
この塔は、国指定重要文化財で、江戸時代後期の文政4年(1821)から弘化年中まで二十数年をかけて建立されたもの。奈良時代の備中国分寺の塔とは別のところに建っている。
初層の四面・頭貫の上には、十二支の禽獣彫刻がはめこまれている。
=寅=
=辰=
境内に、観光案内所兼売店があった。何も買わないで、お茶だけもらった。おばさんが親切に案内してくれる。どこから来たんですかと聞くので、「大阪からです」と言うと、驚いていたが、帰省の途中に寄ったんだと説明すると納得した。
最初の写真、素晴らしいです。
田んぼの中にそびえる5重の塔って、珍しいように思います。
by みつなり (2006-09-06 21:01)
京都の仁和寺や東寺の五重塔は見なれていますが、田圃から眺められる
五重塔は珍しいですね。この田圃からの五重塔の四季の風景も
見てみたいです。
by INOUE (2006-09-06 22:54)
みつなりさん
私もその点に魅力を感じました。
by マイケル (2006-09-06 23:26)
INOUEさん
五重塔は、日本の風景に合いますね。
by マイケル (2006-09-06 23:28)
昔の宮大工の腕はすごかったんですね!
by Baldhead1010 (2006-09-07 10:32)
この景観を壊したくないような・・・・
宮大工さんのこだわり、緻密な技術・・・・こういう所に人の心が残っていると思うのです。
by y-y-ventuers2 (2006-09-07 10:41)
田んぼの中の五重塔は、絵はがきのようです。
江戸時代のは、木組みの緻密さに驚いてしまいます。
やはり重要文化財ですね。
by ミヤ (2006-09-07 13:50)
私のブログへお越しいただき、ありがとうございます。
のどかな田園風景の中にたたずむ五重塔、趣があっていいですね。
吉備国は古代史のキーポイントの一つ。気になるエリアです。
by lingnam (2006-09-07 15:07)
Baldhead1010さん
その通りですね。
by マイケル (2006-09-07 21:46)
夏のひまわりさん
田んぼの中にあるというのがいいと思いました。
by マイケル (2006-09-07 21:49)
ミヤ さん
五重塔はどこでもありますが、こういう景観の中にあるというのがめずらしいのだと思います。
by マイケル (2006-09-07 21:52)
lingnam さん
古代史をテーマにしてみたいですね。
by マイケル (2006-09-07 22:01)
遠くからの眺めも良し、近づいたら技術の凄さなんかも感じられる!
本当素晴らしい建物ですね。
by ずんだれ (2006-09-08 10:08)
ずんだれさん
日本は技術立国ですから。
by マイケル (2006-09-08 22:43)
最初の写真に感動しました。律令国家の威光を感じます。
創建当時は人々もたいへん驚いたのではないでしょうか。
また塔についてですが、創建時は七重の塔だったのでしょうか。
by i-shinkuro (2006-09-10 08:20)
20数年 すごいです あらためてそういう数字を聞くと そう思います
田んぼの中にの 姿 いいですね(^-^
by kakora (2006-09-10 15:28)
kakoraさん
いい仕事しています。
by マイケル (2006-09-10 19:07)
PIROSHIさん
なかなかいいでしょう。
by マイケル (2006-09-10 19:07)