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近江八幡の旅⑥ 日牟禮八幡宮 [神社仏閣]

HIMURE VILLAGEを抜けて、山の方に向かって、進むと、右手に日牟禮八幡宮の楼門が見える。


楼門



狛犬

日牟禮八幡宮の祭神は、誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三柱である。 古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国選択無形民俗文化財に指定されている。

131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが由緒である。
275年、応神天皇が奥津島神社から還幸の時、社の近辺で御座所が設けられ休憩された。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられた。
691年、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌(下記)に因んで比牟禮社と改められた。
「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」
991年(正暦2年)、一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。さらに、1005年(寛弘2年)、遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける。
1590年(天正18年)、豊臣秀次が八幡城築城のため、上の八幡宮を比牟礼社に合祀した。替地として日杉山に祀る予定であったが、1595年(文禄4年)秀次が自害に及び、日杉山に社殿は建立されず、現在のように一社の姿となった。秀次自害により八幡城は廃城となったが、城下町は近江商人の町として発展し、当社は守護神として崇敬を集めた。
1600年(慶長5年)9月18日、徳川家康が関が原の戦い後、武運長久の祈願を込めて参詣し、御供領五十万石の地を寄附した。家光や家綱の御朱印も残っている。
1876年(明治9年)に郷社、1916年(大正5年)には県社に列せられる。1966年(昭和41年)、神社本庁別表神社に加列し、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。

以上が、日牟禮八幡宮の歴史である。


楼門(内側から)


拝殿


能舞台


本殿


本殿の神燈


石灯籠


拝殿横の金鳩

(続く)











タグ:神社 狛犬
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コメント 8

チャッピィー

こんばんは。
何時も目が覚めるよな大胆な写真素敵ですね。
by チャッピィー (2007-09-29 21:22) 

雪洞

こんばんは(^^)
歴史に『if…』は禁物ですが、
豊臣秀次が自害に追い込まれなければ、
どんなお社が出来たんでしょうね…。
by 雪洞 (2007-09-29 22:24) 

nico

たわけのみことって… ゞ( ̄∇ ̄;) イヤ違ウシ...
うちの地方じゃちょっと馬鹿にされちゃう名前ねぇ。
by nico (2007-09-30 08:05) 

マイケル

チャッピィーさん
あがとうございます。
写真はまだまだです。
by マイケル (2007-09-30 10:09) 

マイケル

雪洞さん
IFと考えてみるのは大切ですね。
by マイケル (2007-09-30 10:12) 

マイケル

nicoさん
読み方に注意しないとダメですね。
by マイケル (2007-09-30 10:14) 

COCO

はじめまして。
近江八幡の旅を堪能しました。
まだ行っていないところがたくさんあったので
興味深かったです。
ご説明も参考になりました。
お写真も綺麗ですね。
by COCO (2007-09-30 13:11) 

マイケル

COCOさん
ありがとうございます。
時々お越し下さい。
by マイケル (2007-09-30 20:48) 

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