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吉野の桜⑥ 金峯山寺蔵王堂 [桜]

いよいよ蔵王堂である。


石柱.jpg
蔵王堂の石柱のところにおじさんが座って休んでいた。

蔵王堂に至る道は大変な混みようであった。

坂.jpg


金峯山とは吉野山から山上ケ岳(大峰山)をも含んだ山脈の総称で、万葉集には「御金の岳」の名で登場する古くからの霊山である。7世紀末に修験道の開祖、役行者が大峯山で感得した蔵王権現を自ら刻んで祀ったのが金峯山寺の起源である。そのシンボルが国宝の蔵王堂である。室町時代の再建で、高さ約34m、間口約36m、重層の入母屋造り桧皮葺き、東大寺の大仏殿につぐ大建築といわれる。

本尊は三体の金剛蔵王権現像で、秘仏である。
蔵王堂1.jpg
蔵王堂2.jpg
蔵王堂
国宝である。

蔵王堂の境内には、先ほどの大名行列の山伏たちが勢ぞろいしていた。

山伏たち.jpg

蔵王堂の境内から南の方を眺めると、桜の木の間に、吉野朝宮跡の塔が見えている。

吉野宮跡.jpg
吉野宮と桜.jpg
吉野朝跡.jpg
吉野朝宮跡

南朝妙法殿で、後醍醐天皇の行宮となった実城寺(金輪王寺)跡に建立されており、南朝四天皇並びに忠臣の霊を祀る。本尊・釈迦如来像は重要文化財である。

京都花山院を抜け出し、吉野へ入った後醍醐天皇は、始め吉水院を行宮としたが、そこが手狭になったので、蔵王堂の西下に在った実城寺を行宮にし、寺名を金輪王寺と改めた。後醍醐天皇は1339年(延元4年)ここで亡くなった。その後、江戸時代に徳川家康が南光坊天海を吉野山の学頭に任じ、金輪王寺を元の実城寺に戻し、金輪王寺を下野国の日光へ移して輪王寺とし、吉野山を輪王寺の管理下に置いた。

最後に、谷の向こうに見えている如意輪寺に参って帰ることにした。

(続く)
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コメント 6

SilverMac

流石に「吉野の桜」と言われるだけありますね。それにしてもスゴイ人ですね。
by SilverMac (2008-04-21 15:53) 

レイン

有名な吉野の桜、人混み行列覚悟で出かける必要がありますね。
by レイン (2008-04-21 20:02) 

みほ

素晴らしい桜ですね 
まるで 雪景色のようです(〃▽〃) 
by みほ (2008-04-21 22:10) 

マイケル

SilverMac さん
本当に凄い人出でした。
by マイケル (2008-04-21 23:08) 

マイケル

レイン さん
人が多いと行ったという気分になります。
by マイケル (2008-04-21 23:09) 

マイケル

みほ さん
大昔は吉野は桜より雪景色で有名だったようです。
by マイケル (2008-04-21 23:11) 

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