SSブログ
四国八十八ヶ所めぐり ブログトップ
前の10件 | 次の10件

第44番 大宝寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称 菅生山 大宝寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音
住所 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生二番耕地1173
ご詠歌   いまのよは だいひのめぐみ すがうさん
         ついにはみだの ちかひをぞまつ



大宝寺




内子座を後にして、大宝寺を目指すが、とにかく遠かった。

久万高原町という松山市からもかなり入った山の中である。時間があれば、近くの久万美術館に立ち寄ったのだが。


お地蔵.jpg
駐車場横のお地蔵さん

石段.jpg
石段

続きを読む


nice!(20)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第64番 前神寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

石段.jpg


名称 石鉄山 前神寺
宗派 真言宗石鉄派
本尊 阿弥陀如来
住所 愛媛県西条市州之内甲1426
ご詠歌 まへはかみ うしろはほとけ ごくらくの
         よろづのつみを くだくいしづち


役小角によって開かれた霊峰石鎚山(1981m)の麓にあり、役小角が石鎚山で修行を積んだ後、蔵王権現を感得し蔵王権現像を彫り、後に病気平癒を祈願し成就した桓武天皇(782年~805年)によって七堂伽藍が建てられ金色院前神寺として開かれたと伝えられる。文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇、後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かったことでも知られる。

後に空海(弘法大師)も巡錫している。このとき空海は2度石鎚山を登ったといわれる。当寺は、横峰寺とともに山頂の天狗岳に存在する石鉄権現の別当寺にあたり、東側の遥拝所でもあった。


続きを読む


nice!(18)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第63番 吉祥寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称 密教山 吉祥寺
宗派 真言宗東寺派
本尊 毘沙聞天
住所 愛媛県西条市氷見乙1048
ご詠歌   みのなかの あしきひほうを うちすてて
         みなきちしゃうを のぞみいのれよ



愛媛県西条市氷見乙1048




吉祥寺山門.jpg

山門.jpg
山門

続きを読む


nice!(17)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第62番 宝寿寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称 天養山 宝寿寺
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面観世音
住所 愛媛県西条市小松町新屋敷428
ご詠歌   さみだれの あとにいでたる たまのいは
         しらつぼなるや いちのみやかな



宝寿寺




天平年間(729‐49)聖武天皇が諸国に一の宮を造営した時、近くに伊予一国一の宮神社が建てられ、その別当寺として創建された。その後数度の洪水によって、堂塔は荒れ果てたが、天養2年(1144)に再建されたので、その年号にちなんで天養山と改めた。
弘法大師が四国巡行の際、この地に止まり、光明皇后のお姿に象って、十一面観音像を刻み本尊とした。この折、国司、越智氏の夫人が、難産で苦しんでいたので境内に「玉の井」を掘り、その水を加持して夫人に与えたところ男の子を 安産したので、玉澄と命名した。この言い伝えから本尊は安産の観音様として今も広く信仰 されている。
その後、寺運は栄えたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の際には戦火によって堂塔をほとんど失った。さらに明治初年の廃仏毀釈で廃寺となったが、同10年に再興され、大正10年には予讃線開通のため境内を駅へ譲って現在地に移転した。


宝寿寺大師堂.jpg
宝寿寺大師堂

続きを読む


nice!(16)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第61番 香園寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称 栴檀山 香園寺
宗派 真言宗
本尊 大日如来
住所 愛媛県西条市小松町南川19
ご詠歌   のちのよを おもえばまいれ こうおんじ
         とめてとまらぬ しらたきのみず



香園寺




横峰寺は、行きも大変だったが、帰りも大変だった。

カーナビ任せで、次の目的地に向かっていたが、道路の分岐でカーナビの表示が分かりにくく、脇道に入り込んでしまった。左が川で、右が石垣。漸く車一台が通れる幅の道だ。少しでも、右に切れば、レンタカーの右側面に傷が行くし、左に切れば、脱輪して、川に落ちてしまう。また、Uターンも出来ない。先行きが全く見えない、現在の世界の経済情勢のような状況で、引き返すことも出来ず、ただ信じるのみで前に進んだ。そして、やっと広い道に出た時は、九死に一生を得た気持ちだ。


辿り着いたところは、第61番香園寺だ。駐車場の桜は、満開を通りすぎて、葉桜になりつつある。


香園寺桜.jpg
境内の桜

続きを読む


nice!(24)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第60番 横峰寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

4月11日(土)、天気は良好。八十八ヵ所巡り再開である。

この日は最大の難所、遍路ころがし中の遍路ころがし、第60番札所横峰寺を目指すことにした。

石鎚山の中腹にあるこのお寺、レンタカーを借りて、山道を行くが、行けども行けども細い山道が続いている。

〇〇m先から有料道路ですとカーナビの案内が入る。200~300円取られるのかなあと覚悟して、料金所の前で止まる。料金表を見ると、何と1,800円とある。「1,800円です」と声をかける料金所のおじさんに対して、思わず「えぇ~。1,800円」と声に出してしまった。それでも、今更引き返す分けにも行かず、渋々お金を払って、ゲートをくぐる。有料道路といっても、今までと少しも変わらない山道である。これほど内容の伴わない高い通行料を払ったのは初めてだ。

それでも、行けども行けども、目的地に到着しない。車でさえ、これだけ登らなければならないのだ。歩き遍路の人は一日でお寺まで辿り着くことが出来るのか。

狭い山道を、下りの車とぎりぎりすれ違いながら、ようやくお寺の駐車場に着くことが出来た。かなりの標高だろう。

ちょうど駐車場の桜が満開だった。

駐車場.jpg
駐車場の桜.jpg
駐車場の桜

続きを読む


nice!(17)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

いざ、松山へ⑥ 第51番 石手寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

久し振りに、四国八十八か所霊場に寄る。松山に来たからには、もう少し廻りたかったが、時間がないので、石手寺のみにした。


名称 熊野山 石手寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
ご詠歌   さいほうを よそとはみまじ あんやうの
          てらにまいりて うくるじうらく



石手寺




神亀5年(728)聖武天皇の勅願により伊予の大守越智玉澄が開創したのが始まりである。
翌年行基が薬師如来を刻み本尊としたといわれ、当時は法祖宗に属し安養寺といった。のち、弘仁4年(813)弘法大師がこの地に止まり、堂塔を整備し、真言宗に改めた。
お遍路創始者である衛門三郎が生まれ変ったといわれる河野息方が、このお寺ではじめて左の手を開き、握っていた石を落したといわれ、この伝説によってお寺の名前を石手寺に改められたといわれている。


石手寺参道.jpg
回廊

道の両側に、お土産物屋等が並んでおり、お正月等は賑やかなことだろう。

続きを読む


nice!(21)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第87番 長尾寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称  補陀洛山 長尾寺
宗派  天台宗
本尊  聖観世書
住所  香川県さぬき市長尾西653
ご詠歌 あしびきの やまどりのをの ながをでら
        あきのよすがら みなをとなへて



長尾寺



車は境内の広い敷地にとめるが、物事の順番として、仁王門から始める。

仁王門.jpg
仁王門

仁王像.jpg
仁王像

仁王門の前に、一対の古い経憧が建っているが、二基とも国の重要文化財に指定されている。経憧は、亡き人の 供養のため、写経を埋めた上に建てた石柱である。

仁王門は、鐘楼を兼ねた山門である。

鐘.jpg
内から見た仁王門

続きを読む


nice!(19)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第86番 志度寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称  補陀洛山 志度寺
宗派  真言宗
本尊  十一面観世音
住所  香川県さぬき市志度1102
ご詠歌   いぎさらば こよひはここに しどのてら
        いのりのこゑを みみにふれつつ


志度寺



仁王門.jpg
仁王門と五重塔
仁王門は、寛文10年(1670年)、藩主松平頼重によって建立された。
志度寺・本堂は国指定の重要文化財になっている。


仁王像.jpg
仁王像2.jpg
金剛力士像
左右に立つ木造金剛力士像は、鎌倉時代の運慶の作と伝えられている。

続きを読む


nice!(13)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

第85番 八栗寺 [四国八十八ヶ所めぐり]

名称  五剣山 八栗寺
宗派  高野山真言宗
本尊  聖観世音
住所  香川県高松市牟礼町牟礼3416
ご詠歌   ぼんのうを むねのちかにて やくりをぼ
        しゅぎゃうしやならで たれかしるべき



八栗寺




八栗寺までケーブルカーがあるが、車で行くと、駐車場もない道端にとめ、結構歩く。途中五剣山の4つの峰を眺めながら、お寺までアップダウンの道を歩く。

山.jpg
五剣山
五剣山は昔は文字通り五つ峰があったが宝永三年の大地震により東の一峰が中腹より崩壊し現在の姿になったといわれる。

続きを読む


nice!(9)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | 次の10件 四国八十八ヶ所めぐり ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。